天皇制についていろいろ考えた話
今年に入ってすぐに、天皇制の本を何冊か読んだ。
以前から天皇制については興味や疑問がぱらぱらとあったけど、あまりまとまりがなく、脈絡もないまま浮かんでは消えていた。
きっかけは、たまたま図書館である本が目に入り、気になって借りてみたこと。そのあとも、天皇制に関連した本を何冊か読んだのだった。それをFacebookに投稿したら、友人がその内容をシェアしてほしいとリクエストしてくれて、読んだ本の話をシェアする会を開くことになった。その準備のために再読していたら、ぱらぱらしていた疑問や興味にまとまりが出てきた。
そんな経緯から、文章にして残しておくとよさそうだ、と思い、まとめてみた記録です。
▼ 私の根底にいつもある問い
シェア会をするにあたって、なんで天皇制に興味を持ったのか、というところから話をはじめることにした。そういえば、と、古いノートを引っ張り出して、メモをいろいろ読んでいると、自分の問いにぶつかった。
そもそも世界はどのようにできているのか
世界はどんな成り立ちをしているのか
世界はどのような構造になっているのか
世界はどんなパーツでつくられているのか
そうそう、私はいつもこんな感じの問いを持っているんだった、と思い出した。この問いに答えてくれそうな本や物事、人に出会うと必ずわくわくする。
なんでこの問いを持っているのかは、自分でもよくわからない。でもこの問いをもっていることを支えてくれる言葉にも、すでに2年前に出会っていて、それもメモしてあった。
自分をとりまく人や物を、宇宙的秩序のうちに意味をもったものとしてとらえたい という根源的な欲求がある
余談になるけれど、この言葉に支えられて、自分が世界に対して疑問に感じることに意味を持たせることができた。意味がないことをずっと続けられるほど、強くはないのだ。今自分がしていることの意味が仮にもわかっていることで、探求を続ける自分にOKが出せた。
▼ 問いから派生した興味
そんなわけで、世界の成り立ちが書いてあるといわれる神話に興味があった。西洋ならアダムとイブの話だし、日本ならイザナギとイザナミの国生みの話が真っ先に思い起こされる。古事記の原書は難しくて手が出ないけど、ライトノベルで書かれているものをみつけて読んだり、ご縁があって聖書を読む会に参加したりした。
今思えば、一時期、能や歌舞伎、オペラなどの古典芸能を鑑賞していたのは、過去の人たちがどんな世界をみていたのかを観てみたかったからなのだとわかる。美術館でアート作品をみるときも「当時の人が世界をこういう風にみていた記録」を現代の私がみているんだな、と思ったりしていた、そういえば。
また、「こんな社会現象がある」と聞くと、それが起こった構造の方に興味が湧いた。
そんな風に世界の成り立ちに興味を持ってみたり聞いたりしていると、ところどころにいつも出てくるのが「天皇」だった。メインの話には出てこないけど、つながっていることが多かったのだ。古事記は天皇の先祖の話だし、社会システムとしての宗教を考えると日本の場合は「天皇制」は外せない。昨今の神社ブームで大人気の伊勢神宮は天皇家の先祖である天照大神が祭られている・・・などなど。
▼ 選書について
天皇制に関しては、立場によって大きく意見が分かれる内容なので、選書の際に「どの立場で」書かれた本なのかを気にして読むようにした。今回読んだ本は4冊。著者の肩書は、新聞記者、憲法学者、文学者。書かれた経緯も意識した。
▼ 天皇陛下は毎日なにをしているのか?
そんなわけで、天皇に関する興味がはからずも高まっていた折、図書館でなんとなく目にしたこの本に目が行くのも当然だった。
(講談社現代新書) 新書 – 2009/1/16
山本 雅人 (著)
新聞記者である著者が、宮内庁の担当だったときの取材を元に書かれた本。
「はじめに」より
本書は、「天皇」がいつ、どこで、どのような仕事をどのくらい行っているのかを具体的に明らかにしよう、と書かれたものである
仕事は3種に分けられており、国事行為、公的行為、その他の行為、がある。 なぜこのように分かれているのか、予算はどうなっているのか、どんな人が関わっているか、各業務の所要時間はどれぐらいかかるか、年間どれぐらいの仕事量なのか、スケジュールはどのように決められているか、勤務はどこでされているのか、住まいはどのようか、などなどが詳しく、かつ客観的に書かれている。
この本は著者自身が宮内庁の担当になって初めて知ったこともたくさんあり、「いろいろな議論の前提として、そもそも天皇はどのような仕事をしているのかを知ることが重要」と書かれていて、フラットな立場で書こうと試みられているように感じた。
まずは「誰かの意見」ではなく「事実」を知ることができたのは、初回の出会いとしてはとてもよかったと思う。天皇陛下の業務の多さに驚いたし、祭祀の大変さや宮司としての役割の重さなどにも思いをはせることができた。代わりがきかない仕事、というのが何より大変。
▼ 個人としての天皇、家族としての皇室
次に読んだのがこちら。
おことば 戦後皇室語録 – 2005/6/29
島田 雅彦 (著)
公式に発せられる「おことば」に著者が事細かに思いを馳せている。
本文より引用。
ふだんは御所の森の中で暮らす日本で最も長く続く一族の人々の声を聴き取ろうとすることが、文学者としての興味のすべてである。
(中略)
できることなら、もう一歩、皇室の方々の心の奥まで踏み込んでみたい。そして、その目に日本や世界はどのように映ったのかを知りたい。それが本書のねらいである。
そもそも天皇陛下とはいえ、一個人なんだ、ということを思いださせてくれたし、天皇制とは一つの家族の話でもあるんだ、と感じた。文学者ならではの視点。
▼ 時代の変化と天皇制
前出の2冊を読んだ後、そういえば天皇制って今最も旬な話題なのでは、と思い出し、こちらを読む。
詳説 天皇の退位 平成の終焉 – 2018/8/10
飯田 泰士 (著)
今年5月に行われる予定の天皇の退位がどのように決まったのか、特別法の制定の経緯が事細かに記載されている。
そして気になるのがやっぱりこの議論。
(朝日選書) 単行本 – 2004/9/11
中野 正志 (著)
この本を読んでよくわかったことは、象徴天皇という立場の矛盾だった。
125代続く天皇家の歴史の中で、天皇という立場が一番不自由な時代が今なのでは、と思う。時代の流れに沿う形で皇室はたびたび変化してきたのだというのは、今回読んだ4冊を読むだけでも容易に推測できる。平成天皇が先の大戦の犠牲者への追悼、慰霊の旅をライフワークとされている理由なども、ようやく理解した。
▼ 時代が変わると、教育も変わる
シェア会では、4冊の細かい紹介と、ブログでは書ききれない感想を伝えた。(ちなみに、シェア会でいったん言葉にしていたから、この記事もとても書きやすかった。)
そのときに、中学生の頃、先生に天皇についての質問をいろいろしたけど、結局明確な回答はほとんどもらえなかった、という話が出た。それは、先生の知識が不十分だったせいではなくて、答えられないことばかりだったんじゃないかという話になった。
というのも、高校の世界史の先生が「近現代史をもっとやりたいけど、政府として結論が出ていないことが多すぎて授業にできない」と言っていたのを思い出したのだ。私が高校生の頃は、戦後50年程度のころ。祖父母に戦争を知っている世代がいる時代だった。すでに戦争は風化されかけており、日常生活は戦争なんてなかったかのように経済的には潤っていたけれど、戦争があったことで起こったもろもろを、日本国家としてどのように解釈するか、公に決まっていないことが多々あったのだと思う。
最近では近現代も多く試験に出ているようだ。どんな内容なのか、気になるところ。時代が変わったら教育も変わるんだろう。うまい具合に息子が正に今、中学生なので、教科書を読ませてもらおうと思う。
▼ 最後に
戦後70年をすぎ、平成も終わりに近づいている。新しい元号は令和になる、とシェア会のすぐ後に、Youtubeのライブ配信で知った。「令和」と聞いた人たちが、一斉に好きだの嫌いだのとコメントを入れているのをみて、「平成」のときはこれがお茶の間で繰り広げられていたよね、と思った。そしてきっと、私はもう一回、未来の官房長官が「○○」と掲げるのをみることになる。時代は移り変わる。
時代とともに形を変えつつも続いてきた天皇制が、自分とどう関わりがあるのか、直接はまだ何も見えていない。でも、とにかく関係のあることだと感じる。
今後も折に触れて、思索を続けます。そのうち答えがみつかるんじゃないかな。
思索はつづく。