<鑑賞記録>能楽鑑賞教室~国立能楽堂
生まれてはじめて、能と狂言をみてきました。
きっかけは友人のせいこさんに『能&狂言を観てあーだこーだと語る会』に誘ってもらったこと。
いつも新しい表現に触れさせてもらっています。ありがたいなー。
演目は、こちら。
狂言【大蔵流】附子(ぶす)
能【金春流】黒塚(くろづか)
能楽鑑賞教室だったので、能や狂言の解説付きでわかりやすかったです。
修学旅行の中学生や高校生もたくさんいました。
せいこさんが事前学習した内容を音声で送ってくれていたので、前もって復習もしていきました。古い表現なので、時代背景とか言葉とか、わからないところがたくさんあります。
知らなくてももちろん楽しめるけど、知っていたらもっと楽しい、と私は思う派。
さて、当日。
能楽堂自体がこんなに美しいものだとは知らず、会場に入るなり「なんかすごいーー!」とテンションが上がります。やっぱり本物をみにきてよかった、と観る前からすでに思ったのでした。
能の舞台は、入れ子構造。屋内なのに、屋根がある。
これは、昔、屋外でこういう舞台をつくってみせていたからだそう。
オペラや劇のような幕はありません。
はじまるときは、だんだん静かになって、なんとなく始まるのかな?って感じでちょっと照明が暗くなり、でも真っ暗になることはなく、そろそろと舞台に人が出てきて、いつのまにか始まっています。
そして、終わるときも、静かに皆退散していくのです。
観客にむかって一礼するなどもなく、ましてやカーテンコールもありません。
一緒に鑑賞した、ある参加者さんが言っていました。
なにか物語をみた、というよりは、なにごとかが起こっているところに遭遇した、という感じだね、と。
設定自体は非現実、非日常なのにも関わらず、そこで起こったであろう人と人の間に生まれているものは、自分の身にも十分に起こりそうな感情や物事。
みているうちに、ある瞬間に舞台の上で起こっているその渦に、いつのまにかふわっと巻き込まれていきます。
会場が暗くないのせいか、その場にいる全員が舞台に集中している様子も感じられて、みんなで一緒に舟に乗っているような感覚もありました。どんぶらこーどんぶらこ、という揺れが感じられるような小さな舟。
現実と非現実、日常と非日常の境界線があいまいで、演目が終わってからも、戻ってくるのに一苦労。
いったん戻って来たものの、次の日の夕方くらいまで、怒っている赤鬼のイメージが離れませんでした。それは、一緒に行ったみんなも同じだったようで、Twitterのタイムラインも怒っている女の人の話がたくさん。。
これ、しょっちゅうは行けないね!(笑) って、言ってた友人もいました。
うん、たしかに。でも、しばらくして忘れたころに、また行きたいな。
そして、次も誰かと一緒に舟に乗りたいです。
舟を降りた後、酔ったり、ちょっとふらふらしたりする足取りを支え合いたいな。
<鑑賞記録>ソール・ライター展
先日、たまたま時間がひょっこりあいて、これをみてきました。
いきなりぽかん、と時間が空くなんてこと、ほんとにあるんだなと思っていたら、たまたま同じ日に友人もきていて、観終わって二人であーだこーだ話しました。元々こういう予定だったんじゃないの?というぐらいお互いの予定がぴたっと合って、なんだか不思議だった。
「写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時々提示すること」
街角、カフェ、窓からみた景色。どこかで自分も見てきれいだなって感じたことのある風景のようだった。デジャヴ。窓越しや、屋根の下からや、ベランダから見た景色。自分で撮ろうとすると、いつも、シャッターチャンスを逃したり、フレームに入りきらなかったりして、とても雑なものになる。
ほら、こういう風景をみたんだよね、ってさしだされたみたいな気持ちになった。
「身の周りのものは、美しい」
「なにも地球の裏側まで行く必要はない」
人物の写真から伝わってくるもの。
ぼーっとしたり、じっとみたり、がっかりしたり、愕然としたり、物思いにふけったり、好奇の目を向けたり。そういう、物語のほんの一瞬。こういう瞬間があちこちにある。通りを出ればすぐに。
「肝心なのは何を手に入れるかじゃなくて、何を捨てるかなんだ」
長い間、ひとところに住み、毎日のルーティンの中で写真を撮る。商業用の写真はたくさんないのに、どうやって生計を立てていたんだろう?と勘ぐってみたり。
「無視されることは偉大な特権である」
「幸せの秘訣は何も起こらないことだ」
撮影している存在を感じさせずに、日々写真を撮り続けたソールライター。
未だに現像されていないフィルムが大量にあり、ソール・ライター財団で粛々とアーカイブ作業が成されているんだそう。またいつか、未発表作品をみれるときがくるのかな。
これから開催する読書会一覧
これから開催予定の読書会一覧です。
※随時更新予定
★ 水曜日の読書会
日時:7/19(水)10:00~12:00
場所:都内カフェ(上野近辺)
課題図書:「沼地のある森を抜けて」梨木香歩
※事前読書要
参加費 2000円
★ 『恋』がテーマの読書会
日時:7/16(日)10:00~12:00
場所:都内カフェ(中央線沿線予定)
持ち物:「恋」という言葉でぴんとくる本を2冊をお持ちください。
参加費 :2000円
定員:5名(満席になりました。キャンセル待ち受付中です)
お申込はこちらからどうぞ → https://ws.formzu.net/fgen/S66517496/
◇私が個人的に話したいこと。
恋ってね、私にとっては非日常なんです。
でもある人にとっては、美しい日常の延長なんだって。そっかー、人によって違うね、と思ったものの、
私の恋のイメージって、20代のときのもの。あれからずいぶん時間は経っていて、
私自身もずいぶん変化しているんだから、
今もし恋したら、20代のときと同じじゃないよね、
と、ふと思ったのです。恋のイメージを更新したい!がこの会をひらくきっかけになりました。
あなたにとっての恋はどんなものですか?
よかったら、聴かせてください。
※ 婚活イベントではありません
※ 男性はお知り合いの方、ご紹介の方が対象となります
★ 水曜日の読書会 今後の開催予定日
8/16、9/13、10/11、11/8、12/13
※ 9月から第二水曜に変更になります
<鑑賞記録>『カレンダーガールズ』
この映画を友人達と観ました。
プロジェクターで映した大きな画面で映画鑑賞会。
タイトルはカレンダーガールズ。
Amazonレビューより、あらすじの紹介をさらっと。
田舎町の平凡な日々に嫌気がさしていたクリス、夫の病で亡くした悲しみから立ち直れないアニー。親友同士のふたりは、地味な生活に彩りを加えようと、婦人会でヌードカレンダーを作ろうと提案。モデルは自分たち。その勇気ある行動は、英国だけでなく、ハリウッドまで巻き込む大ニュースになる。
1999年に発売され、30万部もの大ヒットとなった婦人会ヌードカレンダーの実話をナイジェル・コール監督が演出。
観終わってすぐに、お互いの感想をシェア。私の初見の感想はこんな感じでした。
「クリス達のアイディアがあたって、どんどんうまくいき始めて、ちょっと調子にものっちゃってるとき、なんだかとってもはらはらした。調子乗ってると痛い目に合うよ!と言いたくなっちゃう気持ち。翻って、自分自身が新しいことを成すときの変化がとっても怖いんだな、と気付いた。太極拳をやってるときの服の色や形が前半と後半でちょっとだけ地味に違っていて、彼女たちの変化を表していた。地続きの暮らしを大切にしつつも、日々の変化にもおそれず行こう、と思った。」
その後の会話で出てきたのは、パートナーシップ(夫婦やプロジェクトのパートナー)、家族が病気になったときのこと、喪失の物語のこと、映画の細かい描写について、婚姻制度のこと、などなど。
それぞれの家庭の話なんかもしました。普段だったら聞かれないし話さないことも、ここが安全な場だとわかってるから、安心して話せました。
さて、私にとっては、2回目の映画鑑賞会。
過去に観たものの感想って忘れちゃってたりするので、感想をシェアし合う相手と同時にみて、取って出しの感想を同じ温度感でシェアし合える、っていうのは、とってもよかった。
その場で読む読書会、みたいな感じかも。
またやりたいです!またやろう!!
読書会を開催しました*2017JUN『6月は2017年の句点を打つ会』
6月の水曜日の読書会を開催しました。
今回は、テーマに沿った本を持ち寄るタイプの会です。
テーマは『6月は2017年の句点を打つ会』
2017年前半を表す一冊と後半に読みたい1冊を各自で持ち寄る・・・、はずでしたが、
この本を語る前にこの本のことを!
みたいな感じで一冊では終わらない方もいて(しかも複数!)
なんだかおもしろかったです。
人は自由だなあ、と。
本にまつわるお話しを聴くことは、その本を通じてその人を知ることだな、
とあらためて感じました。
みんな、自分の世界をこころよくみせてくれて、ありがとう。
それは、とてもとても豊かな世界でした。
本人にとっては、この半年の生活とリンクしている地続きの、
割に普通に日常に起こったこととして、淡々と語られる物語。
でも、聞いている私にとっては、どれもこれも、
とても熱い物語に感じられました。
目の前の人のこの半年に起こった出来事や感じたことを聴き、
聴きながら自分も短い時間に半年分を疑似体験し、
感動したりびっくりしたり共感したりし、
そして、それをくぐり抜けて、今ここにいるんだな、と、
感慨深い気持ちになりました。
この半年間を自分らしく走りぬいたよ!
という人達が集っている場にいられてしあわせ、そんな体験でした。
聞かせてくれて、ありがとう!
<鑑賞記録>『JURIETA』監督ペドロ・アルモドバル
「JURIETAをみてあーだこーだ言う会」に参加。
仲間内の友人達と鑑賞し、ワイン片手にあーだこーだ言ってきました。
『初見の感想を、きちんと言語化しておくの、いい!』っていうのが、この会への感想です。
映画を観終わった後に、ふつふつと湧きあがるもの。
それらを、普段はなんとなく一言で「よかったねー」とか「おもしろかったねー」とまとめて終わりがち。友達と観に行って、感想話しつつ違う話になる、っていうのもしょっちゅう。
その後、言語化しようにも、うまくまとまらず時間が過ぎていく、っていうのが普段の映画鑑賞で、ブログで振り返って書くときに苦労するのです。忘れてしまっていて、書けないことも多々ある。
今回は、観終わった後すぐ、取って出しの感想をその場で集中してかたまりの言葉にして出したので、ぎゅぎゅっと冷凍、みたいな感じで、残っている。
初見の感想。
ジュリエッタ。スペイン語の発音だとフリエタ、っていうんだって!もう一回みる。
— eriie (@eriielog) 2017年6月7日
いろんな方法で、人は失う。そこに自由に物語をつくる。好きなように失うのだ。 pic.twitter.com/GhQaGkzJEx
私が感じたのは、登場人物たちそれぞれの「喪失」の物語でした。
人は人を失う。失った事実は一つでも、どういう物語になるかは人それぞれ。
喪失に打ちひしがれて鬱になることもあれば、それをバネにがんばることもある。
それは、各自がその喪失を自分で納得させるための物語。
どの物語が素晴らしいか、という優劣はない。人は好きな物語をつくる自由がある。
最初に持った感想はそのままに、6人でいろいろ語り合う中で、映画の輪郭もはっきりしてきます。
・アバがプレゼントしてくれた彫刻はショアンだったのでは?
・ロレンツォみたいな人に50を過ぎてから出会えることの希望。残りの人生を共に歩むパートナー。
・なぜ人は、自分に関係ないことまで、自分が悪かった、というつらい物語にするのか?
・アンティアと一緒にショアンが亡くなったことを悼む時間がもっとあったらよかったのに。
・マリアンとショアンはどんな関係だったんだろう?
・フリエタの両親、フリエタ自身の夫婦のあり方、アンティアが息子を失う、似たような事柄が時を超えて起こる。その意味。
・言わないことにした言葉がある。語られなかった物語。でも伝わっている気持ち。
DVDを貸してもらったので、家に帰って二回目を観ました。
初見のあと、スペイン語の発音が「ジュリエッタ」ではなく「フリエタ」だと知ったので、ものすごく耳も使いました。(フリエタだとわかったとたん、「フリエタ」がたくさん聞こえてきた・・!)
字幕は字数の制限もあるのであんまり出てこないけど、登場人物たちは会話の中でたくさん名前を呼び合っていました。「フリエタ」「ショアン」「イグレシオ」「ロレンゾ」「アバ」「アンティア」「マリアン」「サアナ」「ベア」たくさんのたくさんの名前たち。
スペイン語が耳に心地よかった。
実は、スペインにはずっとずっと行きたいと思っていたのです。
この映画に、後押しをしてもらったなあ。
来年の夏は、スペインに行くことも、こっそり決めたのでした。
開催のお知らせ~水曜日の読書会*6月は2017年の句点を打つ会
6月は、久々に持ち寄り読書会をします。
日時:6/21(水)10:00~12:00
場所:都内カフェ
テーマ:2017年の句点を打とう
2017年前半の私を表す本1冊、2017年後半に読みたい本1冊、計2冊をお持ちください。
参加費:2000円
定員5名
※男性はお知り合いかご紹介限定
・お申込はこちらから https://ws.formzu.net/fgen/S66517496/
・FBで繋がっている方は、こちらからどうぞ。
◇このテーマにした理由
昨年末に一年を振り返る会を行ったところ、夏前の記憶がない人が続出したのです。
そのことが、衝撃的でした。
夏って暑いから、その前の記憶を吹き飛ばしちゃうのかもしれないなあ、とか、
3月でいったん区切られてしまう感もあるなあとか、いろいろ思い、
今年はちょうど真ん中の6月で振り返ってみようと思った次第です。
一年の真ん中なので、前後をみて、今を確かめようと思っています。
「一気に冬になったね!」「いきなり夏になったね!」
みたいな言葉に表される体感で、
記憶って区切られているのではないか、というのが私の仮説。
冬~春にかけての記憶って、「寒い」感じ
夏~秋にかけての記憶って、「暑い」感じ
が記憶のベースになってる気がしてならないのです。
記憶と体感についても、話せたらうれしいな。
水曜日の読書会では、6月に句点、12月に読点を打つ予定です。