eriie's room

読んだり、観たり、行ったり、参加したり、会をひらいたり、いろいろの記録。

読書記録『14歳の子を持つ親たちへ』

土曜日の午前中。
家のなかをひととおり整えた後、この本を読了。

 

先日の読書会でとりあげた「街場の文体論」に引き続き、内田先生関連の本。
そのときの参加者さんがおすすめしてくれた本の内の一冊です。

本来のコミュニケーション、語彙の獲得、前思春期、身体性、ルーティンの大切さ、などなど、興味深いワードがいっぱいの本でした。

 

ここ最近、物事を、まるごと聞く、まるごと読む、っていうことを意識的にしているので、感想ではなく、気になった部分を抜き書き。

同じところ興味持ったーという方いたら、今度あったら声かけてくださいませ。

 

P53

名越:(前略)・・ コミュニケーションとは、自我をはっきり持ってそれで自分の意見をはっきりと発信できることだってことになっているんですよ。

内田:むしろ逆ですよね。何を言っているのかはっきりわからないことを受信する能力のことでしょう、コミュニケーション能力って。聞いたことのない語を受信することによって「あっ、こういう言葉が存在するのか」という風に驚くことを通じて語彙だって獲得されるものなんですから。

 

P83

名越:昔の方がもうちょっと、「情緒をうまく使いこなせるひ人が知識人である」という概念が、日本に共通理解としてあったんじゃないか、そういう意味で言ってるんですけど。

内田:僕も一番感じているのはそこです。何で知識人という人たちはこんなに情緒の豊かさってことに関して無関心なんだろうと。どう考えてみても、知性というのは情緒の豊かさだろうと僕は思っていたんですよ。物事に対してびっくりしたり、感動したり、不思議に思ったりという能力ね。

 

P88

名越:(前略)・・だからね、オバサンっていうのは実は・・・。

内田:子供なんだ。

名越:うん。実は前思春期で・・・思春期にもいってない前思春期で、止まってしまった大人。

 

P108

名越:僕なんかももちろん色々悩んだり苦しかったりってことがあるんですが、最後にそれを受け止めてくれるのは身体なんだっていうことが、実感としてあるんですよね。論理的じゃないんですけど、脳は結局のところ、時間というものを受け取れないんじゃないかっていう気がしていて。

内田:そうなんです。脳って基本的には無時間モデルなんですよ。

 

P109

内田:これ、よく逆に受け取られているけれども、最終的に人間の攻撃性をドライブしているのは身体じゃなくて脳なんですよ。身体っていうのは、どこかで抑制してるものです。狼同士闘っている時でも、片方の狼が「負けました」って喉をさらしちゃうと、いくら噛もうとしても喉を噛めないっていう、コンラート・ローレンツの説がありますけども、人間の場合も最終的に攻撃性を抑制するのは身体なんだと思うんです。勘違いしている人多いけど、身体が攻撃性の培地であって、理性がそれを統御しているというのは嘘なんです。

 

P189

名越:この頃ほんとに思うのは、母性って最初からあるもんじゃなくて、やっぱりトレーニングして身につけていくしかない、ってことです。

 

P194

名越:日常生活の所作というものは身体に通じてるから、そういうもので人間関係が上手くいったりするんですよね。何か抽象的なことを言うよりも、きっちりカギを閉めるとかね。そういう反芻だけで常々、身体的に学んでいくってすごきあるんですね。

内田:親子関係は期間限定の、テンポラリーな関係で、終わりは必ず来る。つまり子供に対して親が影響を与えたりとか、ある程度言葉が届く時間って限られているんです。だから、その時間に届く範囲のことを考えて、その中でできるだけ具体的な提言をするということに尽きると思うんです。