1月の読書会開催、その後のはなし
私にとって読書会は、もはやライフワークになりつつあります。
仕事でも生活でもないけど、生きていく上で必要なこと。
まず、ひとりで本を読み、その世界でひとときを過ごす。
その後、同じ本を読んだ人同士が共有できる世界をつくって、ひとときを過ごす。
自分がひとりでみてきたものや、潜った感想、いってみたけどよく理解できなかったこと、その世界で感じたものを日常に持ち帰った経験、そんなことを話します。
この会をひらくことの個人的な目的はあるけど、それはまたいつかの機会に。
1月は、この本を読みました。
そのときの開催報告&感想はこちら。
読書会そのものの高揚感が消えた後も、自分の心の奥底の深いところに残った言葉は、『充分に生きる』でした。以下、本文より引用します。
辛かったり、苦しかったり、面倒だったりするのは、充分に生きていない状態だからです。そして、充分に生きていない状態にあると、同じように充分に生きていない人ばかりがまわりにいるので、世界中はこんな感じだと思ってしまうのです。
この言葉に、ぐさっときて、読書会後の一ヶ月、私は今、充分に生きているだろうか?できることならば、自分本来の姿で、自分の人生を充分に生きたい。なんとなく不完全燃焼なのは、もういやだなあ、と思いながら日々を過ごしたのです。
そんな流れで、その後の私のTwitterはちょっと青臭い言葉も綴っていたりします。
河瀬監督の言う、魂のために、が心に刺さっている。
— eriie (@eriielog) 2017年2月12日
魂のために、私は何をしている?
魂が求めてることに従う、そういう日々を送りたい。
こんな年になっても、まだこんなことを思うなんて、とも思うし、人生の後半をスタートしたばかり、とも思う。
— eriie (@eriielog) 2017年2月12日
まだ、これだという道は決まらない。決まらないけど、もう半分歩いている。歩いてきた道が私の道だ。
道って・・・!でもそれでしか表現できない。
この本を選んだのは全く別の理由だったけど、結果的には、年のはじめに自分の生き方について考えることになりました。季節的になんかよかったような。その結果、新しいことを学ぶ後押しにもなったりしました。
そんな1ヶ月を過ごして、読書会はその場で話して終わりではなくて、その後の生活にものすごく影響が出てくることがわかりました。これは、私の場合。そして、今猛然と書いているのは2回目の読書会の影響であることは言うまでもありません。