開催しました*水曜日の読書会2017.Jan 『おとなになるってどんなこと?』
2017年1月の水曜日の読書会、開催しました。
課題図書は「おとなになるってどんなこと?」吉本ばなな。
参加者は私を含む6名。
子ども向けに書かれた本なので、さらさらっと読めてしまうけど、一人だとつい読み飛ばしてしまうところも、複数の人数で読むことで1つ1つの言葉の意味が深まります。
言葉の意味自体はわかるので、ついわかった気になって読んでしまうけど、よくよく考えてみると、これってどういうこどなんだろう?っていう疑問を皆に問いかけてみるところからスタート。
一人で読んでいたら疑問のままで終わってしまう箇所を、この意味わかるよー、とそれぞれの解釈をシェアしあい、そこから派生して「ここの部分はこう思った」「てことはこれってこうなのかな?」「私のあのときの経験はこのことかも」「あ、そっか、そういうことか」「それってどういうこと、もっと聞かせて?」などなど、ひとつのテーマを軸に話は広がり、過去にさかのぼり、聞いてほしかった話を聞いてもらったり、受けとったりしながら、みんなで舟をこぐように進んでいきました。
話しているうちに別のエピソードを思い出して、「えっとそれはこのページの~」と皆で同じページを開いて本に戻り、お互いの感想を聞き、またそこから話が広がり、の繰り返し。
それはそれは流れるようにとめどなく進み、本の中をみんなで舟に乗ってゆらゆら旅をした、そんな時間でした。
参加者さんから頂いた感想をご紹介します。
高橋ライチさん
水曜日の読書会 ~本「おとなになるってどんなこと」~|カウンセリング・心理学をもっと気軽に日常に!ライフワークを生きながらパートナーも子育ても大切にしたい女性のためのブログ
一部抜粋
そして同じ本を持ち寄って6人で対話。
それぞれの人の心に響いた箇所、
未消化な箇所について、
誰かの問いに答えたり
誰かの記憶の風景を感じたり
それに想起された自分の何かを言葉にしようとこころみる。
この相互性。
一緒にいるけれど
別々の私たちでいることが許される空間。
ああ、気持ちよかった。
ばななさんは「『おとな』になんかなろうとしなくていいんだよ」
という言い方をしているけれど
私は「『おとな』になるって豊かなことだ」と強く思った。
『子ども』の時は『子ども』であるだけだったけど
今は『おとな』の自分を相棒にした、最強の『子ども』である自分がここにいる。
『おとな』になろうとする時に、『子ども』の自分を置いてきちゃうと、途中でしんどくなる。
気づいたら、迎えにいこう。
悠木レニさん
この読書会で、ステージが変わった!と思える変容がありました。
自分らしくを貫くステージが終わったな、と思えたんです。
今までは自分がぐらぐらしてたので、貫くことで精一杯だったけど、今は太い芯ができてきたので周りに合わせることができるな、と。
(中略)
みんなで同じ本を読むと想像を越えた飛躍がある。
この変容をもたらしてくれた文章も、
みんなで内容を深めてはじめて気づいたところだったから。本っていいなあ
宮袋さおりさん
第七問 生きることに意味があるの?
読書会に参加しました。
課題図書は吉本ばななさんの「おとなになるってどんなこと?」
そのなかの一文。
「辛かったり、苦しかったり、面倒だったりするのは、充分に生きていない状態だからです」
読んだときに浮かんだものは、
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?」
「あなたの(私の)今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なのですか?」
という自分への問いでした。
充分に生きていないこと。
それは、自分を生きていないことを示している。苦しかったり、面倒だったりは他者への責任転換ではなく、自分を見つめるサイン。と感じたのです。
やりたいことはなあに?ってね。
「なにをするために人は生まれてきたかというと、それぞれが自分を極めるためだと思っています。」ともばななさんは書いてらして、それと合わせて心にささっている。
言い切りと思いますの文章。その対比を含めて。
吉本ばななさんの本は、好きで、心の片隅にいつもあって、あ!この感覚知ってると思ったり、祖父の葬儀へと向かう車中で読んだ「ジュージュー」だったり、ドトールのハニーカフェオレを飲むと思い出す「サウスポイント」だったり。
なかったことにされてしまうものたち。が浮かぶ「哀しい予感」などなど。
くくっと、思い出しては読み返したり、心に残るフレーズを取り出してみたり、しまったりなのが、本との付き合い方だっだので読書会として、みんなで共通の本を話すのが新鮮な体験でした。
おとなになるってどんなこと?
結論なんて、ないけども。
わたしは大人で、わたしの中の小さなわたしを抱きしめてあげられる。
それだけ。
そして、「どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」という自分への問いとともに、やりたいことを、しのごの言わずにやりたい。
私は当日、自分の過去のエピソードがいかに自分を縛っているかに気づいて、もう一度、自分の子ども時代をふりかえってみよう、と思ったのでした。そして、参加してくれたみなさんが、10才の私の話を聞いてくれたことが、とても嬉しかったなあ。そのときのみんなの表情が、とてもとても慈愛に満ちていて、忘れられないのです。聞いてくれて、ありがとう。予期せぬギフトでした。