<鑑賞記録>映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』
内容にふれてますので映画観る予定の人は、観てからどうぞ。
太宰治の人生は、
人間失格を書くためのものだった
神様は、そのために彼にいろいろなものを与えた
才能、女、富、名声、病気でさえ
書けない苦悩は、
パワーを出しきれない苦悩
自分の魂が望むものを
叶えてあげられない苦悩
太宰に振り回されているようにみえる3人の女たちも
太宰を自分の脇役にして
自分の人生を生きた
まっとうした。
そういう物語だ。
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人は、本来のその人自身であれないとき
自分を見失う
太宰はずっと見失ってばかりで、
唯一、書いている瞬間だけが
自分の本来の生き方そのものだった
そして書き終わったあとは
また、自分を見失う。
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人間失格を書き終えたあと、彼がまだ生きていたとしたら
どんな人生を生きたんだろう?
やはり、また、恥の多い人生を送り続けたのだろうか。
わたしが想像するに、血の気が失せて、肉欲はほどほどに、純粋な愛の深い人生になったように思う。
太宰治は、深い深い愛の人だ。
あれをみて、そう思う女性は少ないのかもしれないけれど、
わたしは、太宰の愛の深さに、その孤独に、その絶望感に、共感せざるを得なかった。
みちこを愛しているのも本当だし、
静子を好きだったのも本当だし、
富江をかわいいと思う気持ちも、
全部全部ほんとうだった。
その愛し方を理解できない人には
うまく現実をやり過ごすために
思ってもいない戯言を口にしたり
嘘をついたりした。
愛のエネルギーはすべて創作に注いだけど
注ぎ込んでも注ぎ込んでも
なかなか満たされなかった
それはやっぱり
太宰が自分を愛していなかったから。
人間失格を書き終えて、
彼は自分を許せただろうか?
恥の多い人生を、心の底から認められただろうか?
*
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肉体を持つということは
不自由なことだ
思い通りにはなかなかならない。
時間がかかる。
でも、肉体があるからこそ
人と触れ合える
肉と肉に溺れる今世の楽しみは、甘美だ。
肉体があって、分離しているからこそ
1つになる喜びがある
その瞬間、意識と体がひとつになって、
天に溶けていく。陶酔。
その感覚はすぐに消えてしまうから
それを果てしなく追いかけたくなる。
3人の女たちは、その欲求をそれぞれのやり方で叶える。
どれが自分の好みか、
それとも、どれも違うのか。
あなたのお好みはどれですか?