第一回読書会を開催しました
気持ちのいい朝。
グリーンがたくさんあって、さわやか。
お店に一番乗りで、とっても気がいい店内。
平日午前中ってすきなのです。
参加者は私を含めた4人。
本の話をたくさんしたいので、自己紹介は後回し。
お互いを呼び合うお名前だけ紹介してスタートしました。
まずは、この読書会のルールをアナウンス。
・話すことは、感じたこと、自分の内側に起こったこと。
・何を感じてもOK。相手の感想への否定はNG。違いは違いとして受け取り合う。
・勉強会ではないので、文学史や作者の生い立ちそのものだけを論ずるのはNG
(感想の流れのなかで必要ならOK)
この前提の上で、なんでも話しましょう、っていう会なのです。
約2時間、みっちり話して、いろんな話題になり、
主人公ムルソーへの理解や、作品自体の考察も深まりました。
一人だと読み飛ばしたり、理解できなかったりするところを、
いろんな視点からの感想や意見が聞けて、そのひっかりがほどけていく。
ほんと、複数で話すとこんなに深まるんだ、って改めて感慨深い。
個人的には第二章の裁判の部分が深められたのがとってもよかった。
特に最後の司祭への憤りからの独白は、一人だったら曖昧なまま、
よくわかんなかったけど、なんかひっかかるな、ってだけで終わってたと思う。
話した内容をスケッチ的にメモ。
・嘘、正直さ、それゆえの理解されなさ。
・理解できない相手への嫌悪感
・本質をみること
・会社での自分とプライベートの自分
・「異邦人」の意味
・人は理解したい生き物?理解するためのわかりやすい説明が常識
・個人的な体験を言語化することの危険性
・人間の暴力性
・感情を出せる場があることの重要性
・こどもとの会話
・太陽とママン
・結婚してもしなくても、引き金を引いても引かなくても「どっちでもいい」
・ムルソーの死生観
・「世界の優しい無関心」
・私が死んでも世界は変わらないということ
・アートに暴力シーンがあることについて
・死刑について
・古典の読み応え
・読み継がれるということ
準備の段階では、私自身はムルソーの人としての「あり方」を語りあいたかったのですが、そのテーマを今日ひとしきり語ったら昇華されたみたいです。語りたい欲求が消えました。自分のなかの引出しにしまっておこう。
そしてなぜか「身体性」というワードが浮上。
このところ、本だったりアートだったり、インスパイアされるものが変わっても、ちょこちょこ顔を出していた関心ごと。個人的な次のテーマかな。
参加者の方も、読書会でそれぞれに自分が今持ってるテーマについて深まったみたい。終了後は新たに話したいテーマが浮かんできて、エネルギッシュになったりしたらしいです。
共鳴、というのかな。こういうの。
それぞれが持つ音が、お互いの音を聞いて、響き合う。うつくしい風景。