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eriie's room

「水曜日の読書会」と「聴きカフェ」を主催しています。

読書会を開催しました*2017Apr『イルカ』

水曜日の読書会 4月度を開催しました。

今回の課題図書は『イルカよしもとばなな

 

お天気の良い日だったので、テラス席にて開催。
お花見の季節が過ぎ、あっという間に新緑の季節。
先月はあんなに寒かったのに…。

 

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新たな試みとして、ワークを行いました。
1時間半ぐらい話した後に、今心に残っていることを書き留める、というもの。
名刺サイズのカードに、好きな色のペンで、好きな言葉や小説の一節を書きました。

 

ちなみに、普段の読書会では、最後にまとめることはしないし、最後の感想も、もらいません。2時間集中して、それぞれが話し、聞いたことがすべて。
この2時間の中で、それぞれの内面に起こったこと、その場で起こったこと、があり、
会が終わった後、消えるものがあり、残るものがあり、変容するものがある。

 

読書会で話したことを、どんな記憶に留めておくかは各自の自由で、
忘れてしまってもいいわけなのだけど、
たまには思い出を留めるツールがあってもいいかな、と思ったのでした。


カードは、人に見せるためのものではなくて自分用のおみやげで、
発表は強制ではなかったのですが、みんな発表してくれました。
ありがとう!

 

最後は、カードを封筒に入れて、シールを貼り、パッケージ。
 

 

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聴きカフェ、はじめました。

ブライトリスニングという聴き方があるのをご存じですか?

私は、この聴き方を「聴きカフェ」にて実践しています。

 

ameblo.jp

 

ブライトリスニングでは、聴き手の意見を挟まず、話し手の心の声を聴きます。
なにかに悩んでいるとき、問題にぶつかったとき、自分の中に答えはあります。
私は、その答えを探すサポートをしています。

 

私自身、ブライトリスニングで聴いてもらい、
たくさん話して、話しまくって人生がどんどんすすみました。

 

「話せば進む」が合言葉です。

ブライトリスニングで聴いてもらうと、心の声が聞こえてきます。

 


私の話をします。

私自身の心の声、自分が元々持っている人生のニーズは「尊重」でした。
自分も尊重されたいし、相手も尊重したい。
ブライトリスニングで聴いてもらって、気づいたニーズです。

 

このことに気づいたときに早速やってみたことは、旅行でもなんでもなく友達の家にただ泊まる、っていうこと。

主婦になってから、「旅行」のように大義名分のない外泊は、なんとなく自分に禁止していました。自分の時間を自分の使いたいように使う、ということをしていませんでした。


そんなある日、友人に泊まりにおいでー、と誘われて、普段なら躊躇するところ、行く行くー!と気軽に返す自分がいました。家族も行ってらっしゃーい、と見送ってくれました。ただただ、楽しかったです。ただ友達の家に遊びに行くだけ、なんですけどね。


私の時間は私のものだったはずなのに、

いつのまにか、明け渡してしまっていたなあ、と思い、 

自分の時間とやりたいことを尊重する人生に戻ろう。

そう決めました。


今チャレンジしていることは、 家族とシェアハウスの住人同士のように暮らすこと。
要は、家事全般の見直し。家族だからって甘えないで、一人一人自立しよう、ってことです。

 

私は主婦としての役割のためだけにいるわけじゃない。
家族のサポートのためだけにいるわけじゃない。
私個人の時間もを尊重したい。
そして、家族の時間や意志や行動も尊重したい。

夫は、ごはんを自ら一品作るようになったり、ゴミ出ししたらありがとうといってくれるようになったり、と、今まで当たり前だったことが、そうではないと認識が変わりました。子どもは、朝ごはんを自分で作って食べたり、自立に向けて練習中。

 

リクエストすれば、それに答えてもらえます。
それがとても嬉しい。
そして、リクエストにはこつがあります。
手段だけを伝えると、まっすぐに伝わらないのです。



もやもやしてること、気になってること、うれしかったこと、
何を話してもニーズの根っこはつながっています。

「あなたが今話したいこと」に、心の声が、人生のニーズが、あります。



聴きカフェ、というのは、ブライトリスニングという聴き方で聴く場であり、サービスの名称です。

ブライトリスニングを学んだ人達が、この「聴きカフェ」を開催し、各地で聴いています。

私も、そのひとりです。

 

――――――――
【聴きカフェ ~街で 気軽に エンパワメントされる場所を~】
ちょっとした話、重い話、しめっぽい話、ぶっちゃけ話、愚痴、自慢なんでもOK
話して、放せば、軽くなる~
★定義★
聴きカフェとは
1、カフェで聴く!
2、20分で聴く!
3、ワンコインで聴く!
4、聴き手の意見を挟まずに聴く!!
という、サービスであり、場です。
―――――――――

 

お問い合わせは、こちらまで。

miraischool.pr@gmail.com

 

 

読書会を開催しました*水曜日の読書会2017.Mar『とはずがたり』

 

3月の水曜日の読書会、「とはずがたり」で開催しました。

 

古典を読むなんて、本当に久々で、「ひしめく」「あさまし」「あはれ」「むつかし」とか、高校生で古典を習ったときには特になんとも思わなかった古文単語が、今も現代に残って伝わっていることの深遠さにくらくらします。

 

初めに、相対立する二つの感情がある、との感想からスタート。 

 

・あこがれとうらやましさ
・あほらしさと怒り
・同情と共感

 

そして、作者の胸中は身近に感じながらも、当時の女性がどんな暮らしをし、どんな時代認識があり、なにが常識とされる中で、これを書いたんだろう?と、皆で思いをはせました。

  

一夫多妻制の世の中なんて、とも思うけれど、それは、生まれてくる赤ちゃんの死亡率も高く、出産した女性の5人に1人は無くなっていたりする背景があることや、重婚もままあったりしたこと。

 

そもそも現代の結婚は恋愛をベースにしたロマンティシズムありきだけれど、実は人間の実態はそうでもなくて、もっとプリミティブなんじゃないかとか、

 

いつもいつも座って庭をながめている毎日で、部屋の中では膝で歩き、視線はいつも子供の目線ぐらいの高さで、外出で正式な衣装で外出するときには重たすぎて人の手を借りねばならず、自分の身体がいったいどこまでが自分なんだろう?って感じだったんじゃないかとか、

 

お姫様って、友達いなかったんだね、宮仕えしてる女房達の方が楽しそうだし、実は出家しちゃった方が楽だったんだ、とか。

 


ミステリハンターな気分で、あれやこれや妄想しました。

 

 

現代とは違う環境や習慣や思考を想像しつつ、二条さんの愛すべき人となりを味わう、そんな会だったのかな。

 

参加者さんの後日のツイートより。

 

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読書記録『14歳の子を持つ親たちへ』

土曜日の午前中。
家のなかをひととおり整えた後、この本を読了。

 

先日の読書会でとりあげた「街場の文体論」に引き続き、内田先生関連の本。
そのときの参加者さんがおすすめしてくれた本の内の一冊です。

本来のコミュニケーション、語彙の獲得、前思春期、身体性、ルーティンの大切さ、などなど、興味深いワードがいっぱいの本でした。

 

ここ最近、物事を、まるごと聞く、まるごと読む、っていうことを意識的にしているので、感想ではなく、気になった部分を抜き書き。

同じところ興味持ったーという方いたら、今度あったら声かけてくださいませ。

 

P53

名越:(前略)・・ コミュニケーションとは、自我をはっきり持ってそれで自分の意見をはっきりと発信できることだってことになっているんですよ。

内田:むしろ逆ですよね。何を言っているのかはっきりわからないことを受信する能力のことでしょう、コミュニケーション能力って。聞いたことのない語を受信することによって「あっ、こういう言葉が存在するのか」という風に驚くことを通じて語彙だって獲得されるものなんですから。

 

P83

名越:昔の方がもうちょっと、「情緒をうまく使いこなせるひ人が知識人である」という概念が、日本に共通理解としてあったんじゃないか、そういう意味で言ってるんですけど。

内田:僕も一番感じているのはそこです。何で知識人という人たちはこんなに情緒の豊かさってことに関して無関心なんだろうと。どう考えてみても、知性というのは情緒の豊かさだろうと僕は思っていたんですよ。物事に対してびっくりしたり、感動したり、不思議に思ったりという能力ね。

 

P88

名越:(前略)・・だからね、オバサンっていうのは実は・・・。

内田:子供なんだ。

名越:うん。実は前思春期で・・・思春期にもいってない前思春期で、止まってしまった大人。

 

P108

名越:僕なんかももちろん色々悩んだり苦しかったりってことがあるんですが、最後にそれを受け止めてくれるのは身体なんだっていうことが、実感としてあるんですよね。論理的じゃないんですけど、脳は結局のところ、時間というものを受け取れないんじゃないかっていう気がしていて。

内田:そうなんです。脳って基本的には無時間モデルなんですよ。

 

P109

内田:これ、よく逆に受け取られているけれども、最終的に人間の攻撃性をドライブしているのは身体じゃなくて脳なんですよ。身体っていうのは、どこかで抑制してるものです。狼同士闘っている時でも、片方の狼が「負けました」って喉をさらしちゃうと、いくら噛もうとしても喉を噛めないっていう、コンラート・ローレンツの説がありますけども、人間の場合も最終的に攻撃性を抑制するのは身体なんだと思うんです。勘違いしている人多いけど、身体が攻撃性の培地であって、理性がそれを統御しているというのは嘘なんです。

 

P189

名越:この頃ほんとに思うのは、母性って最初からあるもんじゃなくて、やっぱりトレーニングして身につけていくしかない、ってことです。

 

P194

名越:日常生活の所作というものは身体に通じてるから、そういうもので人間関係が上手くいったりするんですよね。何か抽象的なことを言うよりも、きっちりカギを閉めるとかね。そういう反芻だけで常々、身体的に学んでいくってすごきあるんですね。

内田:親子関係は期間限定の、テンポラリーな関係で、終わりは必ず来る。つまり子供に対して親が影響を与えたりとか、ある程度言葉が届く時間って限られているんです。だから、その時間に届く範囲のことを考えて、その中でできるだけ具体的な提言をするということに尽きると思うんです。

 

 

1月の読書会開催、その後のはなし

私にとって読書会は、もはやライフワークになりつつあります。
仕事でも生活でもないけど、生きていく上で必要なこと。

 

まず、ひとりで本を読み、その世界でひとときを過ごす。
その後、同じ本を読んだ人同士が共有できる世界をつくって、ひとときを過ごす。

 

自分がひとりでみてきたものや、潜った感想、いってみたけどよく理解できなかったこと、その世界で感じたものを日常に持ち帰った経験、そんなことを話します。
この会をひらくことの個人的な目的はあるけど、それはまたいつかの機会に。

 

1月は、この本を読みました。 

 

 そのときの開催報告&感想はこちら

 

読書会そのものの高揚感が消えた後も、自分の心の奥底の深いところに残った言葉は、『充分に生きる』でした。以下、本文より引用します。

 

 辛かったり、苦しかったり、面倒だったりするのは、充分に生きていない状態だからです。そして、充分に生きていない状態にあると、同じように充分に生きていない人ばかりがまわりにいるので、世界中はこんな感じだと思ってしまうのです。

 

この言葉に、ぐさっときて、読書会後の一ヶ月、私は今、充分に生きているだろうか?できることならば、自分本来の姿で、自分の人生を充分に生きたい。なんとなく不完全燃焼なのは、もういやだなあ、と思いながら日々を過ごしたのです。

 

そんな流れで、その後の私のTwitterはちょっと青臭い言葉も綴っていたりします。

 

 

 

道って・・・!でもそれでしか表現できない。

 

この本を選んだのは全く別の理由だったけど、結果的には、年のはじめに自分の生き方について考えることになりました。季節的になんかよかったような。その結果、新しいことを学ぶ後押しにもなったりしました。

 

そんな1ヶ月を過ごして、読書会はその場で話して終わりではなくて、その後の生活にものすごく影響が出てくることがわかりました。これは、私の場合。そして、今猛然と書いているのは2回目の読書会の影響であることは言うまでもありません。

 

読書会を開催しました*水曜日の読書会2017.Feb『街場の文体論』

2017年2月の水曜日の読書会、開催しました。

課題図書は、「街場の文体論」内田樹

 

出てきた話題は、書くこと、話すこと、学ぶこと、伝えること、などなど。

一部をご紹介します。

 

・英語を学ぶことは伝えたいことを言うためではない

・言語は学ぶことの豊かさ

SNSでの宛先について

・他者の存在

・メタメッセージメインの会話とコンテンツ重視の会話

・どうやって文章を書いている?

・知識をブリッジすることは愛

・語彙の習得の仕方

 

 

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私は個人的に、どうやって文章を書いているか?興味があって、それをみんなに質問してみました。

 

・本質、テーマがあって、それを言葉にあてはめて文章をつくる。

・気になる言葉がいろいろ組み合わさって、文章を書く。書いてみて、伝えたいことがわかる。

・いつも内省し、言語化している。その言語化した時間、空間をイメージして、そのときの感覚を思い起こしながら文章にする

・内側の声を聞きながら一息に書く。書き出したときには、書き終えるところまでみえていて書く。

 

書き方のパターンと、その方が話すパターンは似ているなあ、とも思いました。

これは今書きながら思ったこと。

そう、私は2つ目のパターンです。

 

読書会が終わって、私は書くことで発見することが多々あるのだから、もっと日常的に書こう、と思っているところです。

普段Twitterでつぶやくことも、単なる垂れ流しじゃなくて、内省を言語化する作業に変えてみようかな、とも思ったり。

とにもかくにも「書く」ことが、次回の読書会までの個人的なテーマになりそうです。

 

 

身体性のこと

ここのところ、「身体性」という言葉がずっと気になっている。

先日、「この世界の片隅に」という漫画を読んだ。
映画が公開されてからというもの、友人たちの間で話題にのぼっており、
映画と漫画の違和感について語る会が開かれたりもして、盛り上がっていたのだ。

評価の高かった漫画の方を読んでみた。
漫画なのに、なかなか読み進められない。読むのは割と速い方なのに、なんでだろう?と思っていた。

 

そうだった、私、戦争もの苦手だったんだった。
想像するだけで戦時下をバーチャル体験してしまい、恐怖感と絶望で動機がするのだ。

 

 

というわけで、映画は観ないまま、今に至っている。


この、身体の奥底からくる「ざわざわ感」。
小さいころ、学校で戦争のことを扱うときには、必ず感じた。
戦争のことを知る必要があるのはよくわかるが故に、
このざわざわを感じるのが申し訳ない気持ちも、必ずくっついてきた。

 

人間の防衛本能なのだと思う。戦争という危機を回避する力。
想像することさえ、身体は拒否するのだ。

人間の五感は、危機を回避するためにできたと聞いたことがある。

たとえば嗅覚。
花の良い香りを嗅ぐ力が落ちても、腐っているものは臭いと感じるようにできている。

たとえば味覚。
高級フレンチの良さはわからなくても、冷蔵庫の奥で腐りかけてているものはまずいとわかる。

 

腐っているものを食べたらお腹を下してしまうからだ。

これが身体の危機。危機を回避するのは、人間の本能だ。

 

 

そして、先日の読書会でも、似たような体験をした。


約2時間程、生命倫理について皆で話した後に、充分な議論がなされないまま既に世界では倫理が侵されつつあることを知った。具体的な内容は言及を避けるが、社会に障害者は不要だ、とのメッセージにようにも解釈できるようなことが、バイオテクノロジーの進歩の裏側で、起こっていた。
ぞっとして、寒気が襲ってくる感じ。両手で両腕を思わずさすった。


 

生命倫理バイオテクノロジーの間で起こってくる様々な問題について考え始めたばかりで、まだ答えは出ていないけれど、この感覚を大事にしようと思った。
危機を回避する能力は、もともと人間がもっている本能なのだから、ぞっとする感覚を感じたら、きっとそれは倫理を犯している。

重くなっちゃったな。閑話休題

 

そんなわけで、このところ、身体で感じるものに重きを置いている。
身体そのものも大事だな、ということで、今年は身体づくりも始めた。
(#身体づくり でつぶやいてます)

まずいものだけじゃなくて、おいしいものもやっぱり味わいたい。
危機だけじゃなくて、嬉しい、楽しい、も全身で感じたい。


人間が魂だけじゃなくて、なんで身体という物質があるのか?とか、
また頭で考えそうになるけど、それは散歩しながら考えよう。

 

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