<鑑賞記録>バレエ/ロミオとジュリエット_ROHライブビューイング
ライブビューイングにて、ロンドン新国立オペラハウスのバレエを観てきました。
ライブビューイングというのは、実際に上演された舞台を映画館で観られるというもの。開園前の舞台の様子から映されていて、休憩時間も劇場の様子が映っているので、実際に劇場に足を運んでみているような気分になります。
ライブビューイングで特筆すべきは、解説と出演者へのインタビューがついていること。それがあることで、より楽しめる構成になっています。
きっかけは、ディカプリオ主演の映画版ロミジュリをみたこと。
Twitterで感想をツイートしたら、友人がバレエもあるよと教えてくれたのでした。
映画のロミジュリは、とにかく青春…!って感じで、若い2人の惹かれ合う様に美しさを感じました。
でもストーリーは悲劇。最後は悲しみしかない。
それなのに、こんなにも人々に愛され語り継がれているのはなぜ?
ロミジュリが古典たる理由はなにか?
そういう問いを立てました。
97年公開のディカプリオ主演のロミオとジュリエットみた。主演2人の恋してる様子が本当に美しかった。でもさ、それより何より、なんでこんなにも長い間人々にも語りつがれてるんだろう?悲劇なのに。悲劇だから?いやー、気になる、それが一番気になるポイント!!#ロミオとジュリエット
— 大山江利子 (@eriielog) May 6, 2019
バレエのロミオとジュリエットは、言葉のないお芝居でした。
広く知られている物語だからこそ、バレエという言葉のない表現になったとき、それぞれの感情だけがダイレクトに伝わってくる。
以下、当日の感想メモ。
最終幕
仮死状態のジュリエット
肉体だけでは寂しい
魂のない肉体ってこんな風なんだ
魂と肉体がセットじゃなければ人間じゃない
カーテンコールで主役2人が出てきたとき、天国での魂の再会シーンのようにみえて
切なかった
美しい笑顔だったけど
やっぱり生きてるうちに会いたい
人は愛と喜びを感じるために生きている。魂だけじゃ、喜びは感じられない
生きていてこその、喜び。生きていてこその、愛。そのために圧倒的に自由であること。外側からも、内側からも。#ROHromeo
— 大山江利子 (@eriielog) August 24, 2019
『情熱をもって生きろ、肉体が死に至るまで。
その魂があるかぎり、愛と喜びを感じつくせ。
それを阻害する、ありとあらゆるものから自由になれ。』
遥かかなたから届いた、シェイクスピアからのメッセージ。
語り継がれている理由は、ここに人が共感するからなんだと思った。
ROHのバレエのロミジュリみて、いったん答えが出たところ。存分に生きなさいよ、っていうシェイクスピアからのメッセージ、って受け取った。#ROHromeo https://t.co/DuYkGgK7Qy
— 大山江利子 (@eriielog) August 24, 2019
ロミオとジュリエットを通して、古典について考えた。
みんなが知っている物語の枠組みに乗せて、その時代のエンターテイナーたちが届けたいものを届ける。みんなが知っているお話なのに、いろんな表現方法がある、っていうおもしろみ。みんなに知られている物語だからこそ、観客への説明はほどほどでよくて、いろいろチャレンジできる。観ている側も物語をがんばって追う必要がないので、ゆったり鑑賞できる。同じ物語の、その時々の解釈の違いや、表現方法の変化を感じるのはとても楽しい。
一方で、表現を受け取る私たちの肉体は、500年前とほぼ変わらないだろうし、感情の起こる仕組みもきっと変わっていない。だからこそ、シェイクスピアからのメッセージは、どんな表現方法であっても、ダイレクトに私たちに届く。
時代を超えても語り継がれている物語には、きっと普遍的なメッセージがあるんじゃないかな・・・?
ロミジュリが単なる悲劇じゃなかった、とわかったのは大きな収穫だった。びっくりするほど前向きなメッセージだった。
そんなわけで、これからは、古典を積極的に鑑賞しよう、と心に決めたのでした。
バレエはプレミアスクリーンで、
待合室がこんなに素敵なので、
アー写風にとりたくなった。満足w