読書記録 2018年8月後半
この夏は、思うところあって社会学の本をいくつか読んでいる。
まずはこちら。
どんな死に方が幸せか?ぼくの答えは「<社会>に関わって生きてきたこと自体を福音だと感じながらも<世界>の中に直接たたずんで死んでいくこと」。
後でもう一回、読み返したい。
宗教社会学の本、2冊。
宗教とは「社会構造」である、ということをこの2冊から学んだ。今起こっているものごとの底の底にあるもの。
これからの私の教科書になりそうな予感の2冊。
内田樹さんの街場シリーズ2冊。
「戦争論」は、日本の近代史をおさらいしてから、もう一度読みたい。
2冊とも、資本主義、民主主義を超えるイデオロギーはあるのか?という最近の自分の興味に近い分野の内容。興味深く読んだけど、全部は理解できなかった。
今はこんな状況。記録だけしておく。
<訪問記録>タルマーリーさんのこと
タルマーリーというちょっとかわったパン屋さんがあることを知ったのは、昨年(2017年)の夏でした。オーナーのイタルさんが書かれた本を読んだのがきっかけ。そのとき読書記録も書いておきました。
その後、オンラインでパンを購入。
そのパンの軽やかさに驚いたのでした。
タルマーリーのパンを食べてから、パンの捉え方が変わった。材料がほぼ粉と水と酵母だけなので、軽くあっさりでも滋養あふれる味。焼くともっちりして、風味もしっかり味わえる、のに、軽い。普段食べてるパンは、砂糖と油脂が多いから重いんだ、と体でわかった。#タルマーリー #パン
— eriie (@eriielog) May 12, 2018
その後、女将のまりこさんに上記の感想をメールしたところ、こんなお返事を頂きました。その一部をご紹介します。(どこに出してもOKですと許可をもらっています)
食べ物を作って食べるって、栄養を取るというよりは、なんていうか、情報やエネルギーを体内から読み取るような感じだなと思っていて・・。
きちんとした素材がつくられた環境や生産者の想いなど、そしてそれを使って自分たちが楽しんでつくった・・というすべての軌跡を身体の中に入れる。
だから私は、工業的に作られたものを身体に入れると、凄いうるさいノイズを入れてしまったような感じで、排出するまで苦しい感じがしてしまいます…。
というわけで、楽しく作られたモノを食べるのが一番ですね~。
このお返事、私にとってはいい意味で衝撃的でした。食べる、っていうことをこんなふうにとらえたことがなかったのです。それ以降、「自分の口に入れるものを自分で選んで、自分の好きな形式で好きなように食べる」ことをますます楽しんでやろう、と思ったのでした。
タルマーリーさんを知ってから一年後の今年の夏はこちらに参加。オーナーのイタルさんによるタルマーリー内部の見学会です。ランチとビール、お土産のパンセットつき。
イタルさんは、菌のこと、ビールづくりのこと、菩提元づくりのこと、石鹸を使わなくなった話、イースト二元論、素材のこと、スタッフの菌務体制、菌本位制のこと、などなど、時間のあるかぎり、いろんな話しをしてくださいました。
そのなかで、心に残ったのは「偏らない表現を心掛けている」とおっしゃっていたこと。酵母はもとより、そのもとになる麹を天然採取している、というものすごくこだわりのあるパンとビールづくりをしている方からこういう言葉が出てくるとは思いませんでした。
ここからは私の解釈ですが、「やっていることが偏っているからこそ、伝え方を普遍的にして、いろんな人が受け取りやすい形にしている。本当に伝えたいことがきちんと伝わるためには、一部のひとだけに伝わるやり方ではだめだ。自分のつくりたい世界をつくるには、多くの人が受け取りやすい形にして、こちらに入ってきやすいようにするのが大事」という想いがあるように受け取りました。
だからこそ、タルマーリーさんは全国にファンがいるし、広がっているんだなあと思います。菌からはじまる平和、みたいなことをふと感じました。
当日は、まりこさんとも直接お会いしてお話しができました。
はじめてお会いするのに、昨日まで会っていたかのようにすぅっと入れる雰囲気の素敵なかたでした。
タルマーリー内部を包み隠さず案内してくださるイタルさん。
「写真?どこでもとってOKですよ。なにも隠すところはありませんので」と。
ビール、とってもおいしかった!ピザもハンバーガーも◎
店内の内装はすべて自分達で行ったそうです。
これも手作り。写真が下手すぎて伝わらないのですが、とってもかわいらしくて、まるで額縁のような出入り口。
LINK:
<ライブ記録>フィロソフィーのダンス
フィロソフィーのダンス、というアイドルグループのライブにいってきました。
2015年、コンテンポラリーなファンク、R&B、哲学的な背景を持つ歌詞をアイドルに歌わせるというコンセプトの元、氣志團、ナンバーガール、ベースボールベアー、相対性理論などを手がけた加茂啓太郎がオーディションとスカウトでメンバーを集め結成。
youtubeで「ダンスファウンダー」を聞いたのがきっかけ。
音楽にそれほど詳しくないのですが、ファンク、R&Bは私の好きなジャンル。それに歌いやすい歌詞と真似しやすいダンスが加わっていて、すぐに好きになりました。どれぐらい好きかというと、youtubeを流しっぱなしにして、ひとり真夜中踊り続ける、、、ということができちゃうぐらい好きな感じです。あんまり伝わらないかもしれないのですが。
これはライブにいくべし!とチケットをとろうとしたのですが、東京はSOLDOUT。大阪ならまだとれる!と、勢いで行くことに。(おかげで2年振りの友達に会えたり、鳥取にも足をのばして行きたいところに行けたりと、他の楽しいことが芋づる式についてきたのでした。)
さてさて、ライブ当日。
ふと「あ、そういえばこのグループってアイドルだったんだ」と思い出し、「お客さんは男の人ばっかりで、アイドルオタクのなかに混じることになったりして?大丈夫かしら?」と今さらそんな心配してどーする、っていう心配を胸に会場へ。
案の定、8割男性でしたが、女性専用ブースがあって一安心でした。でも、実際はその熱狂的なファンの人達のなかでみたかった!と思うぐらい、私のアイドルオタクへの偏見がぽろぽろとなくなったライブでもありました。
ライブは場なんだ、ってわかった。そのときそのときで違う。人が違うから。女性専用席で安心してみれてよかったけど、アイドルオタク的な盛り上がり方も楽しそうだなあ。#フィロのス
— eriie (@eriielog) July 1, 2018
アイドルへの掛け声、生ではじめて聞いたんだけど、愛で満ちてた!波動?バイブス?っていうのかな?なんかさ、ライブいってよかったことは、本人たちの生の声を聞けたことももちろんなんだけど、ファンの人たちがこのグループを育ててるんだなってことがわかったこと!#フィロソフィーのダンス 大阪
— eriie (@eriielog) July 1, 2018
ライブ終盤、4人のメンバーをそれぞれに推してる掛け声がヒートアップするにつれて、私の身体がぐおんぐおんしはじめました。とっても心地いい感じで。あれ?なんだこれ?なんか知ってる感じだけど?と踊りながらたどってみると、あーこれは愛だ!と、わかったのでした。うん、素敵でした。メンバーたちへの愛にあふれていた。
私にとって、愛とは「ただただそこにあるもの」なのですが、こうやって場を設定すれば、はい、とすくって差し出せるようになるもの、ってことも再確認。
個人的には、後半の「アイドル・フィロソフィー」という曲でハルちゃんの声が身体全部に響いてきて泣けてきて、あーこれが聞けて大阪まで来た甲斐があった!と思ったのでした。
さて、これを機に、アイドルが好きな人達のことをアイドルオタク、って呼ぶのをやめます。そういうつもりはなかったけど、やっぱり揶揄してる感ある言葉だし、そういう意味も込めて使ってたな、ってこれを書きながら反省しました。
最後に、ワンマンライブが終わった後のインタビューのリンクを貼って終わりにします。これを読むと、”楽曲派アイドル”と呼ばれていて、楽曲の側面からひかれる人、アイドルの側面からひかれる人、やっぱり両方いるみたいです。
開催しました*「働く」がテーマの読書会
少し前のことになりますが、「働く」がテーマの読書会を開催しました。
参加者は、私を含め5人。
最初からテーマに深く入れるように、みなさんには前もって宿題を出していました。
その答えと関連した1冊を発表していただくところからスタートです。
「あなたにとって働くとはなんですか?」
その後フリートークし、最後に自分の内側にしっくりなじむ「働く」の定義をもう一度考察して頂きました。
当日のキーワード
・運ぶ
・働くことは暮らすこと
・作用
・エネルギーをどう使うか
・お金の循環
それぞれが深く考察した後に集う形式の、哲学カフェのような読書会でした。
また語りたいテーマができたら開催したいなあ。
私自身は、この読書会の後、突如ダイエットを本気で始めました。
自分のエネルギーをどこに使うか、ということを考えていたはずなのですが、パッションがむくむくと湧いてきたのは、なぜかそれでした(笑)。今思えば、エネルギーの出所である体を整えたかったのかもしれません。
身体を整えている途中なので、今までと思考回路が変化している感があります。ダイエットが終わったら、できないと思いこんでいたことをやりたくなったりするかもしれないな、と期待しつつ、うまくいかなくて落ち込んだり、そうでもないさと自分を励ましたり、の毎日です。
<鑑賞記録>レオナルド×ミケランジェロ展
開期終了間近にようやく観に行けました。
鑑賞当日のFacebookへの投稿。
右と左、どっちが好き?
私は右のミケランジェロが好き!
この鼻筋と、横顔。美しい…。
でも左のレオナルドも、表情がいいよねー。
モナリザの微笑みに、繋がる。
一連の素描をみると、
レオナルドは本当に大人で絵がうまくて、頭もよくて、最高なんだけど、
ミケランジェロの官能的な筋肉の描き方に、
人への愛を感じずにはいられない。
レオナルドが静的で分析的なら、ミケランジェロは動的で官能的。
彫刻でもモデルをきちんと描いたミケランジェロ。
立体の小さなモデルも作っていて、それもやっぱり美しいのです。
絵が足し算なら、彫刻は引き算。
生まれて初めて、彫刻にも興味津々です。
素描ばかりの展覧会、絵を描かない私が果たして楽しめるんだろうか、って思っていたのは杞憂に終わりました。おそらく、ミケランジェロとレオナルドをそれぞれ単体でみてもあんまり興味は湧かなかったと思うのですが、比較して並んでいることで自分なりの視点ができたのだと思います。
鑑賞しながら、どっちが好きかな?だけをみてた私。
鑑賞の仕方としては邪道かもしれないんですが、とっても楽しかった。
レオナルドは、繊細で美しい。
ミケランジェロは、力強さと緻密さがある。
こちらにミケランジェロのみどころ作品が3つ紹介されていますが、どれもこれも見入ってしまいました。この三作品、とても好きです。
絵と塑像と彫刻。
今回の展示で、技法にも少し目がいくようになり、彫刻の模型を粘土でつくったものを塑像という、ということを初めて知ったのですが、
”塑像は「付け足す」という意味で絵画と同じ。彫刻はそぎ落とすもの。”
という点に非常に興味を持ちました。
彫刻は引き算のアートなのかあ。。
どうやったら完成させられるのか、全く想像がつかないところがに、魅力を感じます。
さて、終わりに。
この展覧会は、せっかく予習もしたし、なんとかして行きたかったのです。
予習した記事:鑑賞の前に~レオナルド×ミケランジェロ展 - eriie's room
(そういえばこの記事、リンク貼ってくださった方がいてうれしかったのでした)
もうちょい突っ込んで知りたくて、漫画も買って読みました。
これ読んだからミケランジェロびいきになった感もあり。
この漫画を知ったのはこちらのブログ。
明菜さんのTwitterでアート情報をキャッチしてます。
ブロガーさんということなんだけど、どんな経歴で何されてる方なんだろう。気になるわあ。。
美術館好きにはおすすめ。
読書記録『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』&タルマーリーのこと
2か月前ぐらいに読んだ本。
そのときは感想が出てくるほど消化できず、それよりも、気になった文章をそのまま抜き書きしてとっておきたくて、文章をまるごと書写しました。
田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」
渡邉 格 (著)
下記、本文よりの引用です
いつかは今いる世界の「外」に出て、小さくてもほんとうのことがしたい。自分が正しいと思えることをして、それを生活の糧にして生きていきたい。
だから、僕ら「田舎のパン屋」が目指すべきことはシンプルだ。食と職の豊かさや喜びを守り、高めていくこと、そのために、非効率であっても手間と人手をかけて丁寧にパンをつくり、「利潤」と訣別すること。それが「腐らない」おカネが生み出す資本主義経済の矛盾を乗り越える道だと、僕は考えた。
できるだけ地場の食材を使い、環境にも人間にも地域にも意味素材を選ぶ。イーストも添加物も使わずに、手間隙かけてイチから天然酵母をおこして丁寧にパンをつくる。真っ当な”食”に正当な価格をつけて、それを求めている人にちゃんと届ける。つくり手が熟練の技をもって尊敬されるようになる。そのためにもつくり手がきちんと休み、人間らしく暮らせるようにする・・・。
マルクスいわく、資本主義経済の矛盾は、「生産手段」をもたない「労働者」が、自分の「労働力」を売るしかない構造から生まれている。(中略)それよりも、今の時代は、ひとりひとりが自前の「生産手段」を取り戻すことが有効な策になるのではないかと思う。そのニュアンスをうまく表現してくれているのが、「小商い」という言葉だ。
仕事とは、稼ぐとは、働くとは、をこんこんと考えていた時期ならではの抜き書きだなあ。。
「小商い」に興味が湧いて関連本を買ったのですが、積読中。そろそろ読もうかな。
それにしても、タルマーリーさんのパン、食べたいなあ!!
仲間でわいわい食べる会を来年の初夏あたりにできたらいいかな。
そのときにオンラインで買えますように。。
うーん、そして、このお店にも行ってみたい。いつかいこう。必ず。
<鑑賞記録>アルチンボルド展開催記念トークイベント
こちらのイベントに申込んだら、思いがけず夜の銀座に繰り出すことになってしまいました。
【トークイベント】
《銀座 美術夜話会―もっと展覧会を楽しむために 第3話》アルチンボルド展開催記念
アルチンボルドのやっかいな謎―芸術は世界の見方を変える
アルチンボルド展を担当された国立西洋美術館 主任研究員の渡辺晋輔さんから、本展の舞台裏を交えながらアルチンボルドについてレクチャーいただくとともに、ゲストに茂木健一郎さんをお迎えし、アルチンボルドの「謎」と「才覚」に迫ります。
会場は、ギンザシックス。あまりにキラキラした場所で、なんか落ち着かない、、、と思っていたら、登壇者の渡辺さんもトークの中で「こんないけてる場所で、、ねえ、」っていうシニカル発言あり(笑)
茂木さんの自由な突っ込み具合と知的な中にもブラックユーモアのある渡辺さんのお人柄が相まって、公開ではなかなか聞けない話がたくさん。茂木さんは「今日は神会だ!」と飛び跳ねてました(笑)。
下記は、当日の私の走り書きメモから残しておきたいものをピックアップしています。語録風になっていますが、あくまでも話の流れのなかで出てきた言葉なので、これ単体でとらえると意味が変わってきてしまいますのでご注意ください。私の覚書ってことで。
・アルチンボルドの絵は個が独立している。模倣者たちの絵は、個が全体に奉仕している。質が全然違う(茂木)
・観るものを不安にさせる絵。安定した中世の世界から一変し、ルネサンスのヒューマニズムは人としてざわざわしている時期。人間はすごく不安定なものでもある、という認識に立ち始めた時代(茂木)
・(水や大地の絵)ひきつけるものと相反するもの両方あるのがグロテスク(茂木)
・絵に対する冷めた意識のはじまり。絵は、絵空事である、という意識。(渡辺)
・「だまし絵」と言った瞬間に漏れてしまうものがたくさんある(茂木・渡辺)
・「みておもしろければよいじゃないか」という論調は、アート鑑賞につきものの発言で、今回もそれはあったが、そういう物の見方から一歩進んで、鑑賞してみるのもいいのではないか。子どもはそれでよいが、大人なら教養をもって想像しながらみてみるのもよいのでは(渡辺)
・この時代の絵は、現代のようにたくさんの人が見たわけではない。ほんの一握りの宮廷人がみていた絵。しかも、観る側の教養水準が高く、閉じた世界。そういう人達がみることを前提に描かれた絵であることを想像してみることが重要(渡辺)
・世界には誤解しかないんじゃないか。常に誤解しかないとわかった上で、世の中をみてみると評価を留保することがたくさん出てくる。評価してる側の価値観も時代とともに変遷する。(茂木)
・キャラクタライズされた人物像とその人全体は違う。(茂木)
・絵画はありとあらゆる総合的な学問の集大成。ダヴィンチは科学や数学に強かったが、それはすべて絵のための知識。圧倒的に絵のうまい人。(茂木)
「みておもしろければそれでいい」というのは、私のまわりでもよくある論議で「みて感じたものがすべてだから、前知識は必要ない。逆に邪魔になる」というようなことを言う人もいる。私自身は、その画家がどんな人でどんな時代にどんな要請で描いた絵なのか、を知っていることは、時代を超えて世界を旅する感覚になるので、そっちの方が好みだ。このイベントの中でもその論旨のトークがあり、渡辺さんが似たようなことを更に知的に表現されていて、ちょっと感動してしまった。渡辺さんの話はもっと聞いていたいな~、と思わせる何かがあって、次回のご担当の企画は個人的にかなり注目です。来年の秋にイタリア方面の企画をやるんだって。イタリア美術史がご専門だそうなので、そういう意味でも楽しみ。
そして、茂木さんはテレビでみたままのとっても自由な人だな~、と現に目の前にして、思ったことでした。