eriie's room

読んだり、観たり、行ったり、参加したり、会をひらいたり、いろいろの記録。

開催しました*「働く」がテーマの読書会

少し前のことになりますが、「働く」がテーマの読書会を開催しました。

参加者は、私を含め5人。

 

最初からテーマに深く入れるように、みなさんには前もって宿題を出していました。
その答えと関連した1冊を発表していただくところからスタートです。


「あなたにとって働くとはなんですか?」


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その後フリートークし、最後に自分の内側にしっくりなじむ「働く」の定義をもう一度考察して頂きました。


当日のキーワード

・運ぶ

・働くことは暮らすこと

・作用

・エネルギーをどう使うか

・お金の循環

 

それぞれが深く考察した後に集う形式の、哲学カフェのような読書会でした。

また語りたいテーマができたら開催したいなあ。

 

 

私自身は、この読書会の後、突如ダイエットを本気で始めました。

自分のエネルギーをどこに使うか、ということを考えていたはずなのですが、パッションがむくむくと湧いてきたのは、なぜかそれでした(笑)。今思えば、エネルギーの出所である体を整えたかったのかもしれません。

身体を整えている途中なので、今までと思考回路が変化している感があります。ダイエットが終わったら、できないと思いこんでいたことをやりたくなったりするかもしれないな、と期待しつつ、うまくいかなくて落ち込んだり、そうでもないさと自分を励ましたり、の毎日です。

 

 

 

 

<鑑賞記録>レオナルド×ミケランジェロ展

開期終了間近にようやく観に行けました。

鑑賞当日のFacebookへの投稿。

右と左、どっちが好き?

私は右のミケランジェロが好き!
この鼻筋と、横顔。美しい…。

でも左のレオナルドも、表情がいいよねー。
モナリザの微笑みに、繋がる。

一連の素描をみると、
レオナルドは本当に大人で絵がうまくて、頭もよくて、最高なんだけど、
ミケランジェロの官能的な筋肉の描き方に、
人への愛を感じずにはいられない。

レオナルドが静的で分析的なら、ミケランジェロは動的で官能的。


彫刻でもモデルをきちんと描いたミケランジェロ
立体の小さなモデルも作っていて、それもやっぱり美しいのです。

絵が足し算なら、彫刻は引き算。
生まれて初めて、彫刻にも興味津々です。

 

 
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素描ばかりの展覧会、絵を描かない私が果たして楽しめるんだろうか、って思っていたのは杞憂に終わりました。おそらく、ミケランジェロとレオナルドをそれぞれ単体でみてもあんまり興味は湧かなかったと思うのですが、比較して並んでいることで自分なりの視点ができたのだと思います。

 

鑑賞しながら、どっちが好きかな?だけをみてた私。
鑑賞の仕方としては邪道かもしれないんですが、とっても楽しかった。

 

レオナルドは、繊細で美しい。
ミケランジェロは、力強さと緻密さがある。


こちらにミケランジェロのみどころ作品が3つ紹介されていますが、どれもこれも見入ってしまいました。この三作品、とても好きです。

 

http://mimt.jp/lemi/04.html

 

絵と塑像と彫刻。
今回の展示で、技法にも少し目がいくようになり、彫刻の模型を粘土でつくったものを塑像という、ということを初めて知ったのですが、

”塑像は「付け足す」という意味で絵画と同じ。彫刻はそぎ落とすもの。”

という点に非常に興味を持ちました。

彫刻は引き算のアートなのかあ。。
どうやったら完成させられるのか、全く想像がつかないところがに、魅力を感じます。

 

 

さて、終わりに。
この展覧会は、せっかく予習もしたし、なんとかして行きたかったのです。

予習した記事:鑑賞の前に~レオナルド×ミケランジェロ展 - eriie's room
 (そういえばこの記事、リンク貼ってくださった方がいてうれしかったのでした)

 

もうちょい突っ込んで知りたくて、漫画も買って読みました。
これ読んだからミケランジェロびいきになった感もあり。
この漫画を知ったのはこちらのブログ。

blog.livedoor.jp

 

明菜さんのTwitterでアート情報をキャッチしてます。
ブロガーさんということなんだけど、どんな経歴で何されてる方なんだろう。気になるわあ。。
美術館好きにはおすすめ。

 

 

 

読書記録『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』&タルマーリーのこと

2か月前ぐらいに読んだ本。

そのときは感想が出てくるほど消化できず、それよりも、気になった文章をそのまま抜き書きしてとっておきたくて、文章をまるごと書写しました。

 

 

 

 田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」
渡邉 格 (著)

 

下記、本文よりの引用です

 

いつかは今いる世界の「外」に出て、小さくてもほんとうのことがしたい。自分が正しいと思えることをして、それを生活の糧にして生きていきたい。

 

だから、僕ら「田舎のパン屋」が目指すべきことはシンプルだ。食と職の豊かさや喜びを守り、高めていくこと、そのために、非効率であっても手間と人手をかけて丁寧にパンをつくり、「利潤」と訣別すること。それが「腐らない」おカネが生み出す資本主義経済の矛盾を乗り越える道だと、僕は考えた。

 

できるだけ地場の食材を使い、環境にも人間にも地域にも意味素材を選ぶ。イーストも添加物も使わずに、手間隙かけてイチから天然酵母をおこして丁寧にパンをつくる。真っ当な”食”に正当な価格をつけて、それを求めている人にちゃんと届ける。つくり手が熟練の技をもって尊敬されるようになる。そのためにもつくり手がきちんと休み、人間らしく暮らせるようにする・・・。

 

マルクスいわく、資本主義経済の矛盾は、「生産手段」をもたない「労働者」が、自分の「労働力」を売るしかない構造から生まれている。(中略)それよりも、今の時代は、ひとりひとりが自前の「生産手段」を取り戻すことが有効な策になるのではないかと思う。そのニュアンスをうまく表現してくれているのが、「小商い」という言葉だ。

 

仕事とは、稼ぐとは、働くとは、をこんこんと考えていた時期ならではの抜き書きだなあ。。

「小商い」に興味が湧いて関連本を買ったのですが、積読中。そろそろ読もうかな。

 

それにしても、タルマーリーさんのパン、食べたいなあ!!

仲間でわいわい食べる会を来年の初夏あたりにできたらいいかな。

そのときにオンラインで買えますように。。

うーん、そして、このお店にも行ってみたい。いつかいこう。必ず。

 

www.talmary.com

 

<鑑賞記録>アルチンボルド展開催記念トークイベント

こちらのイベントに申込んだら、思いがけず夜の銀座に繰り出すことになってしまいました。

 

store.tsite.jp

 

トークイベント】
《銀座 美術夜話会―もっと展覧会を楽しむために 第3話》アルチンボルド展開催記念
アルチンボルドのやっかいな謎―芸術は世界の見方を変える


アルチンボルド展を担当された国立西洋美術館 主任研究員の渡辺晋輔さんから、本展の舞台裏を交えながらアルチンボルドについてレクチャーいただくとともに、ゲストに茂木健一郎さんをお迎えし、アルチンボルドの「謎」と「才覚」に迫ります。

 

 

会場は、ギンザシックス。あまりにキラキラした場所で、なんか落ち着かない、、、と思っていたら、登壇者の渡辺さんもトークの中で「こんないけてる場所で、、ねえ、」っていうシニカル発言あり(笑)

茂木さんの自由な突っ込み具合と知的な中にもブラックユーモアのある渡辺さんのお人柄が相まって、公開ではなかなか聞けない話がたくさん。茂木さんは「今日は神会だ!」と飛び跳ねてました(笑)。

 

下記は、当日の私の走り書きメモから残しておきたいものをピックアップしています。語録風になっていますが、あくまでも話の流れのなかで出てきた言葉なので、これ単体でとらえると意味が変わってきてしまいますのでご注意ください。私の覚書ってことで。

 

アルチンボルドの絵は個が独立している。模倣者たちの絵は、個が全体に奉仕している。質が全然違う(茂木)

・観るものを不安にさせる絵。安定した中世の世界から一変し、ルネサンスヒューマニズムは人としてざわざわしている時期。人間はすごく不安定なものでもある、という認識に立ち始めた時代(茂木)

・(水や大地の絵)ひきつけるものと相反するもの両方あるのがグロテスク(茂木)

・絵に対する冷めた意識のはじまり。絵は、絵空事である、という意識。(渡辺)

・「だまし絵」と言った瞬間に漏れてしまうものがたくさんある(茂木・渡辺)

アルチンボルド若冲っぽい(茂木)

・「みておもしろければよいじゃないか」という論調は、アート鑑賞につきものの発言で、今回もそれはあったが、そういう物の見方から一歩進んで、鑑賞してみるのもいいのではないか。子どもはそれでよいが、大人なら教養をもって想像しながらみてみるのもよいのでは(渡辺)

・この時代の絵は、現代のようにたくさんの人が見たわけではない。ほんの一握りの宮廷人がみていた絵。しかも、観る側の教養水準が高く、閉じた世界。そういう人達がみることを前提に描かれた絵であることを想像してみることが重要(渡辺)

・世界には誤解しかないんじゃないか。常に誤解しかないとわかった上で、世の中をみてみると評価を留保することがたくさん出てくる。評価してる側の価値観も時代とともに変遷する。(茂木)

・キャラクタライズされた人物像とその人全体は違う。(茂木)

・絵画はありとあらゆる総合的な学問の集大成。ダヴィンチは科学や数学に強かったが、それはすべて絵のための知識。圧倒的に絵のうまい人。(茂木)

 

 

 

「みておもしろければそれでいい」というのは、私のまわりでもよくある論議で「みて感じたものがすべてだから、前知識は必要ない。逆に邪魔になる」というようなことを言う人もいる。私自身は、その画家がどんな人でどんな時代にどんな要請で描いた絵なのか、を知っていることは、時代を超えて世界を旅する感覚になるので、そっちの方が好みだ。このイベントの中でもその論旨のトークがあり、渡辺さんが似たようなことを更に知的に表現されていて、ちょっと感動してしまった。渡辺さんの話はもっと聞いていたいな~、と思わせる何かがあって、次回のご担当の企画は個人的にかなり注目です。来年の秋にイタリア方面の企画をやるんだって。イタリア美術史がご専門だそうなので、そういう意味でも楽しみ。

 

そして、茂木さんはテレビでみたままのとっても自由な人だな~、と現に目の前にして、思ったことでした。

 

 

 

<鑑賞記録>Before Sunrise,Before Sunset,Before Midnight

※詳細のあらすじも書いてます

 

SNSの友人たちの間で話題になっていて、Before Midnight がつくられたことを知りました。過去2作も観たことあったはずなのにストーリーをすっかり忘れてたので、この機会に一気にみることに。

このシリーズの素敵なところは、同じ監督、主演の二人が続編を作っていること。
だから、役の二人もリアルに年をとっているのです。

 

一本みるごとに感想を書きとめて、次の作品をみる、という方法で鑑賞しました。
それぞれの感想を残しておきます。

 

 

 

1995年 Before Sunrise/恋人までの距離

 

一緒に今ここにいる、そのことが既に素晴らしい奇跡のようなできごと。出会った瞬間から好きで、一緒に過ごす時間はその気持ちが本当かな?と確認するような時間。
ああこの人が好きだな、と確信できると、今度は二人の先行きが気になってしまい不安になって、目の前にいるその人を失うことが怖くなる。

でも今はまだ出会ったばかりで人生が全く交差していない。先のことはわからない。だからといって刹那的にはなりたくない、この瞬間を味わいきりたい。夢のような夜だったから、夢から覚めるのが怖い。でも夢から覚めてもやっぱり会いたい。

っていう、二人の気持ちがものすごくよく伝わってくる、とってもいい映画でした。二人の会話だけでストーリーが進むところも好き。before_sunset が楽しみ。一度観てるはずなんだけど、すっかり忘れてるし、きっと感想も全然違う。

 

 

 2004年 Before Sunset

 

 9年後、30代になって再会。お互いにそれぞれの生活がある。理想の自分になりたくて結婚してみたり、誰かと一緒にいすぎることが怖くなってほとんど会えない人とつきあったり。でも仕事や、人生でなすべきこと、やりたかったことを一所懸命やって今がある。

果たされなかった約束。美しかった夜が、悲しい思い出に変わる。それでもあの夜を忘れたくなくて、日記や本を書く。と同時に、セリーヌは環境問題のNPOで活躍の場をみつけ自分の信念を行動に移し、ジェシーは作家の地位を築く。社会人としての自分の土台を作ったあと、最初の夜から9年後の再会。

美しいパリの街並み。セーヌ川セリーヌの居心地のいい家。気さくなご近所さん。BGMは、街のざわめき、人々の声。
飛行機の時間がきちゃうわよ、とせかすセリーヌ。帰りたくないジェシーセリーヌのそっけない態度は、彼が既婚者だからだ。

結末は描かれないまま映画は終わる。ジェシーの書いた本のように、読んだ人の想像のままに、ということなのだろう。この再会をこのままで終わらせてほしくないなあと思う。関係を続けていってほしい。結婚しなくていいから希望をもってつながっていてほしい。

生まれたら死ぬけど、つきあったら別れるけど、それでも。

 

2013年 Before Midnight

前作から更に9年後。事実婚し、双子の娘をもつ二人。離婚した奥さんの元に置いてきた息子が恋しくて仕方がないジェシー。恋しい人はいつも遠くにいる。

知的でパワフルなセリーヌは、ジェシーや子どものライフスタイルに合わせて、パワーが発揮できないことにうんざりしているようにみえる。彼女はいつでもエネルギーの使い道を探しているのだ。

映画の8割、セリーヌは文句を言ってる。文句言ってる顔は、全然かわいくないしきれいでもない。それでも、ジェシーは彼女を愛してる。怒りに振り回されてしまう最低な彼女もいるけど、知的で美しくてユーモアのある最高な彼女もいることを知っている。そして、自分自身が不完全な自分であることはとうにわかってる。

”愛はいつでもここにある。君が取りにくれば。僕は犬のようにはいつも戻らない。でも君が望むなら、愛はここにある。 ”

愛はインフラなのだと思う。人がすこやかに生きていくための。
愛し愛されて、自分が満たされたら、それを世界にむかって表現したくなる。もしくは、社会に愛情を還元したくなるのかもしれない。

人によって、表現方法は異なる。ジェシーは書くことだし、セリーヌは仕事をすることなのだろう。
 

 

この先9年後に、また新作が発表されたら素敵だなあと思う。
50代になった二人をみてみたいです。

<鑑賞記録>ボストン美術館の至宝展

雨の水曜日、ボストン美術館の至宝展へ。
感想を書こうとあれこれ見て思い出してみるものの、やっぱり図録買ってくればよかった・・と後悔するほど、古代エジプト美術から現代アートまで、時代も地域も振れ幅が大きくて盛りだくさんの内容でした。


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私が気になった絵は以下の7枚。これらを中心に思うままに書き連ねます。

1.与謝蕪村「柳堤渡水・丘辺行楽図屏風」
2.英一蝶「涅槃図」
3.アルフレッド・シスレー「卓上のブドウとクルミ」
4.ファン・ゴッホ「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」
5.ジョージア・オキーフ「グレーの上のカラー・リリー」
6.チャールズ・シーラー「白い納屋、壁、ペンシルバニア州バックス郡」
7.村上隆「If the Double Helix Wakes Up...」




スタートは古代エジプトのあまりに遠い過去の時代の美術品の数々の鑑賞から。「どうやってつくったんだろう??」「どんな人達がつくったんだろう??」謎が多い古代に思いを馳せた後、かっこいい龍(でも権力の象徴なんだって)のある中国美術の部屋を抜け、日本美術の部屋へ。歌舞伎の看板や浮世絵もあるなか、(個人的には)日本人ぽくないと感じる絵柄の絵の前で「そっか昔から人は多様であったのだ」と思う。


そして観覧前から気になっていた英一蝶「涅槃図」。釈迦入滅の絵だそう。こういうのをみると、やっぱり仏教の成り立ちなども知っておかねばなあ、という気持ちになる。日本の宗教画って、そういえば観るの初めてかも。

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日本美術で一番心惹かれたのは、与謝蕪村「柳堤渡水・丘辺行楽図屏風」。写真だと小さくて顔がわかりづらいんだけど、人の顔がとってもかわいい。さわぐちけいすけさんの絵に似てるなー、とこっそり思う。とても好きな絵柄。

 

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カフェで作業中、隣に座っていたおじさんの紙が私のスペースに侵食してきた。見たら手書きの年間予定表全てに「休肝日を作る!」と書いてあった。おじさん頑張って。(パソコン持ってなかったのでアナログ絵) pic.twitter.com/ZvwT0UXjYL

— さわぐち けいすけ (@tricolorebicol1) 2017年7月21日

 

(実際にはこの部屋までで、かなり長く時間を使った。まだ地下なのにー、この後体力持つのかしらわたし?と若干不安になりつつ先に進む。)

 

1階に上がるとそこはフランス絵画の世界。古代エジプト美術から比べると19世紀の西洋絵画はとても身近に感じる。シスレーピサロ、モネ、ルノワール、と印象派の画家が続き、なかでも今回は、シスレーの静物画「卓上のブドウとクルミ」が印象に残った。ここ最近モチーフとしての胡桃が好きだから、っていう全くもって個人的な理由だけど、くるみがとてもおいしそう、かつ、かわいさにあふれていた。また、モネに戸外での制作を勧めたというブーダンの海景画も素敵だった。印象派直前、って感じだろうか。そしてこの展示のメインのみどころでもあるゴッホルーラン夫妻の肖像画にたどりつく。この二枚は耳切事件のビフォアアフターを表してもいるわけだけど、肖像画は描かれた本人がどんな人であるかを描くものでもあり、描いた人の世界の見え方を表すものでもある、ということをものすごく感じる2枚だった。

 

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アメリカ絵画の部屋では、ジョージア・オキーフに目が釘付け。このところ花の形状やその目的、理由を考えることがあって、花がとても気になった。その姿形、美しさの理由をいろいろと思う。

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(それにしても、あとから公式HPなどを観ると、この部屋にはもうちょっとちゃんと見ておけばよかったと思う絵がある。古代エジプトをもうちょっと軽く見て、この部屋に体力を温存しておけばよかった。時間配分が難しい。)

2階へ。写真に見えない写真たち。特に、チャールズ・シーラー「白い納屋、壁、ペンシルバニア州バックス郡」は、描画かと思った。きれいな線、面、図形。


最後は現代美術の部屋。ウォーホルはみたことがあっても、村上隆の絵をちゃんとみるのは初めてだと気づく。日本を代表するアーティストなのに今までみる機会がなかったので、この機会にじっくり観る。インターネットの世界のようにもみえるし、今自分がおかれている状況にもみえるし、現代社会への皮肉も感じたりする。同じ時代に生きている人の絵だから、意味はわからなくても伝わってくるものが多い気がした。

 

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ふう~、古代から現代まで駆け抜け、ボストン美術館の紹介映像をみて終了。ボストンは美しい街のようです。アメリカの東側に行く機会があったら、ボストン美術館に行ってみよう。

読書会を開催しました*2017JUL『沼地のある森を抜けて』

7月の水曜日の読書会を開催しました。

今回は私含め4人でお話ししました。

課題図書は「沼地のある森を抜けて」梨木果歩。

 

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2時間のフリートークのなかで、「生命とは」「自分とは」という大きなテーマから、ウィルスや菌などのミクロの世界まで、遠くからも近くからも自由自在に視点が動きました。異文化間における死生観の違いの話、ウィルスに支配された身体の話、出てくる単語は、大島紬やアートやアルチンボルトやナウシカもやしもん…などなど、多岐にわたりました。が、なかでもやっぱり「発酵」がキーワードに。

 

読書会の後、下記の三冊を読みました。


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まずは真ん中の『田舎のパン屋がみつけた「腐る経済」』。「沼地~」を読書会の課題本にしてから、発酵関連の話題が目にとまるようになり、鳥取で天然菌でパンやビールをつくっている「タルマーリー」さんを知りました。そのオーナーである渡邉格さんの著書です。経済が「腐る」ってどういうことなんだろう?って興味が湧いて読みました。

右側の『ゆっくり、いそげ』はクルミドコーヒーオーナーの影山さんの著書。最近よく二号店を利用している関係で読んでみました。前述の本を読んだ後もそうだったのですが、自分の今の仕事の姿勢を改めて考えなおすきっかけになりました。頂いている参加費は妥当だろうか?とか、支援し合う関係になっているだろうか?などなど。

最後に、左側の本。こちらは、まだ読んでいる途中なのですが、タルマーリーさん繋がりで知った「発酵デザイナー」小倉ヒラクさんの『発酵文化人類学』。著者がこの肩書きに至った経緯がとても興味深く、上記二冊に続けて「働く」ということをますます考えています。

次回は「働く」がテーマの読書会をしようかな。