eriie's room

読んだり、観たり、行ったり、参加したり、会をひらいたり、いろいろの記録。

100%ここにいる、ということ。

奥多摩に向かう電車の中。

ふと気づいたら、窓から見える景色が一面グリーンに変わっていました。

 

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この日はバーベキューに誘われて、奥多摩まで2時間の移動。
日曜のとても気持ちのよい朝でした。

 

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電車の中って、ものすごく集中できるんですよね。思考が進む進む。
頭の中のテキストを二時間ぐらいかけて、整理整頓。そのときちょっと悩んでいることがあったのですが、それを人に話せるまでには整理できました。

 

そんなわけで、実は、目的地でなにかすることよりも、目的地に着くまでに考え事にふける方がとても楽しい、ということが多い私。

 

でもこの日は、考え事がひと段落して、ふと顔を上げると、こんな景色がずっと続いていたのです。がんばったねー、おつかれさま、って言われてるみたい。何のご褒美かはよくわからないけど、思いがけないギフト、って感じでした。

 

 

さてさて、ここ最近、青梅方面にご縁ができて、青梅線に乗ることが増えています。武蔵野線もだいぶ慣れて、乗換駅の西国分寺まで近く感じるようになりました。

こちらがそのご縁のできた庭。

 

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ブラックベリーの実。熟すと真っ黒になるそう。ブラックベリーのリキュールでつくったカクテルがのみたい。。

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こちらはラズベリーもぎたてをほおばる。新鮮すぎてやばい。
この手の持ち主が作ってくれたラズベリージャムをおみやげに頂きました。

 

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ぐんぐん、にょきにょき、って感じのラベンダー。
満開。エネルギーに満ち溢れてる。香りもすごかった!

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こちらの庭には手仕事のワークショップに伺っています。お昼ご飯をはさんで朝から夕方まで、染めたり編んだり。庭にある自然の材料をつかって、作業作業作業。手を動かします。

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手作業のいいところは「今ここ」に集中できるところ。自分100%で存在できる。せっかく自然がたくさんあって満喫できるのに、思考を働かせすぎててしまって「今ここにいない」のはすごくもったいない。


この「今ここに集中する」という感覚は、音楽を聞いているときに似てるな、と思います。前後にあったことはいったん忘れて、そのとき流れている音楽を聞く時間に身を任せると、その時間がとても楽しくなってきて、音楽にのめりこめる。

と考えると、あちこち思考を錯綜させずに今ここに集中することで、人生がさらに楽しくなるような気がします。

 

こういう自然の多い場所だと、自然のもつ存在感に圧倒されて、半ば強制的に「今ここ」に集中できる。手仕事の庭に通う理由は、この感覚をつかみたいからなのかもしれません。

 

鑑賞の前に~レオナルド×ミケランジェロ展

三菱一号館美術館で開催されている「レオナルド×ミケランジェロ展」。よく知られている画家なので、展覧会を観に行く前に予習しておくことにしました。

 

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ダヴィンチやミケランジェロぐらい有名な場合は、鑑賞者がここまでは知っているだろうという高めの想定のもとキュレーションされていそうなので、予習しておいた方がより楽しめるのでは?と推測しています。
ちなみに、先日鑑賞したアルチンボルド展は「この画家を知らない人が多かろう」っていう想定のキュレーションになっていたようで、展覧会自体が画家の生涯をしっかり説明してくれていて、予習していなくてもとっても楽しめました。(実際、アルチンボルトの予習って、図書館に行っても資料もみつけにくいし、どこから手をつけていいかわからないですしね。)


美術館側でも、より展覧会を楽しめるような予習できるイベントが企画されています。美術館が企画しているものだと、無料だったり、有料でも1000円ぐらいだったりとお手頃。こういう講座って「朝カル・芸大の先生が講師・有料で4~5000円」っていうのしか知らなかったのですが、最近、こういうのがあることを知って活用しはじめました。申込開始が早めなのと、会期の最初の方で行われていることが多いので、行きたい展覧会が始まる前にイベントをチェックしています。

そんなこんなで、先日初めて美術館主催のレクチャーに行ってきました。
この日は嵐のような大雨の日だったのですが、後ろの方の席まで埋まっていました。

 

 

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ここにもね、いつもこの方達は何をしている人なんだろう??と常々不思議に思っている「平日の昼間に美術館にいる年配の方」がいました。しかもたくさん!
いわゆる、美術ファン、という方達なのかな。

レクチャーも、美術の知識が前もってある人達に話してます、って感じで進んでいきます。展覧会のみどころ、というのは、何をポイントにキュレーションしたか、ということを教えてくれます。今回は、「素描」の比較、「レダと白鳥」という同じテーマでの比較、などなどで自分で絵を描く人におすすめの展覧会なのかなー、と思いました。正直、私はあんまり興味がわかない分野。わかりやすくホームページにも載っていたので、これも読んでから行ってみようと思います。

 

本展の見どころ 

→ レオナルド×ミケランジェロ展|三菱一号館美術館(東京・丸の内)

 

見どころそのものにはあんまり興味が持てなかったのですが、このイベントに参加したことで、全く別の発見がありました。そもそも展示されている絵は、500年以上前のものなので、本当にその画家が描いたものなのか、証明できないこともあるそうなのです。そういう場合キャプションには、例えば「レオナルド・ダヴィンチ(帰属)」と書かれます。”「~という画家が、絶対に確実というのではないが、現在のところ実作者と見なされている」という意味合い”なのだそう。「展示されているものは全て画家本人の作品だ、本物だ」と思いこんでみていた過去の私よ、さようなら。

 

先日のアルチンボルト展は「~に帰属」「~にもとづく」といった絵画が多かったのですが、このイベントの後に初めて行った展覧会なので、その点も注目しました。感想は、アルチンボルトという画家を中心にして生まれた表現の有機体なんだなあ、画家本人を中心に波及してうまれた表現活動が、時代を超えて今目の前にあるんだなあ、という感じ。

 

その作品が画家本人のインスピレーションによるものか、画家からもらったインスピレーションで他人が描いたものなのかは、表現を味わう、という点では、私にとってはあんまり関係なかったです。どちらかといえば、アルチンボルトとの影響力をみた、という点で、時代のダイナミズムが伝わってきて、却って良いようにさえ感じました。その作品がアルチンボルトのものなのか他人が描いたのか、真贋はこの際どちらでもよかった、というのは、とても不思議な感覚でした。

 

さて、そんなこんなで、鑑賞前の予習はまだまだ続きます。後は、ダヴィンチとミケランジェロの個人の年表をざっとおさらいしてみることに。鑑賞前の予習もこれから深めていけそうで、楽しみだなあ。

 

イベントにもちらっと登場していた、館長の高橋さんの記事もおすすめ。

 

ミケランジェロ

mimt.jp

 

レオナルド編

mimt.jp

<鑑賞記録>アルチンボルト展

 


台風一過の7月のある日の午後、アルチンボルト展へ。

 

 

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この展覧会で、初めてアルチンボルトという名前を知りました。はじめまして、でこんなにもその人の人生を知るって、なんだかすごいことだなあ、なんて思いつつ、その日は誰かとすごく話したい!という気分だったこともあって、自分の人生ヒストリーをこんなにも丁寧にキュレーションしてもらっているアルチンボルトに嫉妬(!)したりしました。
  

 

16世紀後半。ハプスブルク家の皇帝につかえたアートディレクター、アルチンボルト。頭がよくって、好奇心旺盛。自分の表現をパッションのままに出すっていうタイプではなくて、自分の引出しにたくさんしまってある個性的な表現をスポンサーから求めに応じてスマートに出している印象。表現の中にいろんな要素が混ざっています。皇帝を讃える要素、当時の自然科学の知識、ユーモアや皮肉…などなど。カリカチュアや静物画のはしりでもあり。当時の最先端だったのかなあ。

 

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四季と四大元素の部屋では、鑑賞にたくさんエネルギーを使いました。近くで見ると精細な静物画、遠くで見ると人物画。目や口が、目と口ではないもので表現されています。アルチンボルトを真似た他の画家の絵もあったけど、それらは中途半端で、目や口はそのまま描いてあったり、バランスが悪かったり。アルチンボルトのすごさがわかります。

個人的には、「大気」と「冬」に惹かれました。
「大気」は、画面全部が鳥!っていう、その迫力。意味なく描かれているわけではない鳥たち。「冬」は近くでみると枯れ果てた木なのに、遠くからみると、成熟した威厳のある人が立ち上がってきてハッとする。マクシミリアン二世の寓意像なんだとか。

 

 


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2時間かけてじっくりみて疲れたので、近くの上島珈琲へ。テラス席でぼんやりしつつ、振り返り。とりいそぎ、Twitterにあれこれ感想を留めておきます。

 

そういえば、美術館に来ている人の中には年配の人が多いのが以前から気になっていました。平日の昼間にふらっと観に来れるって、どんな人達なんだろう、って。(いや自分も傍からみたらそうなんだけど)もしかしたら、若いときから展覧会をみていて、みればみるほど知識が積み重ねられていって、自分なりの美術史が形成されていて、それが楽しくて、趣味が続いている人が多いんじゃないかな、と、ふと思いました。

 

私もこれから積み重ねを楽しもう!と、次の展覧会の予習のため、この本を購入。時系列で並んでいるだけでもなく、単に画家の説明が並んでるだけでもなく、巨匠視点で書かれているところがおもしろそうです。

 

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<鑑賞記録>椿姫~METライブビューイング

2017年後半のスタートに際して、前半の振り返りをしています。

今年前半は「なにかを鑑賞して同じものをみた人と話す」っていうことをたくさん行いました。鑑賞した後に誰かと話すと、ちゃんと感想が自分の中に残るのが、とってもいいところ。

 

 ちなみに「なにかを鑑賞して同じものをみた人と話す」ことの良さを私に教えてくれたのは、このブログによく登場する友人のせいこさん。せいこさんが企画する「〇〇をみてあーだこーだ言う会」では、古今東西のいろんな表現に触れさせてもらってます。ことほぎラジオのパーソナリティーでもあります。 彼女と話していると、自分の中の表現欲がむくむくと湧いてくるのが不思議なところ。

hitotobi.hatenadiary.jp 

 


前半はブログに書くことを意識していなかったので、あんまり記録を残してないのですが、これは外せない!っていうのがオペラ。

 

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラを、日本の映画館でみる、というもの。オペラ初心者には、リーズナブルに本物に触れられるよい機会でした。

 

www.shochiku.co.jp

 

こちらも能と同様友人のせいこさんが”『椿姫』を観て感想をあーだこーだと話す会”を企画してくれて、参加しました。こんなのやりたいなー?とせいこさんがつぶやいていたのをいち早く察知して、いくいく誘って―と、猛アタック(笑)

そんな機会でもないかぎり、ちゃんとオペラみよう、って自分からは思わないんだけど、時代を積み重ねて続いているという意味での「古きよき」表現に触れたい、という欲求は元々あったのです。(こういう自分にとっての素晴らしくよい機会を察知する能力だけは秀でてるなー私、と書きながら気づく。。)

 

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音楽に詳しくてオペラをよくみているゆかこさんがナビゲーションしてくださって、鑑賞前にみておくといい動画や、あらすじを教えてくれました。わたし、そういうとこ素直なので、ちゃんと予習はしていきます。当日、舞台に集中したいので、準備はたいせつ。

 

aktennotiz.jugem.jp


オペラというのは演出によっても随分と変わるみたいで、今回のはかなり斬新な感じだったそうです。

 

私のそのときの感想。

 


中学生のときに椿姫を本で読んだことがあって、そのときは主人公たちの気持ちがさっぱり理解できなかった、っていう過去があります。なんで自分の思い通りに生きないんだろう?ばかじゃないの?って中学生の私は本気で思っていました。

今回、大人になってこの物語に再会しても、その感想は変わらなかった。
でも、本人達は本気だからこそ、その本気のさまが、美しい。 
それは、舞台だからこそ伝わってきたことでした。

 

 

ヴィオレッタとアルフレッドの本気さの源は「愛」でした。
 

 

そう、私は椿姫をみて、自分は「LOVE」をつくりだすために生きているんだ、って思い出したんです。もしくは、そこにある「愛」を見出すこと。そして十分にあふれさせること。

なんのために生きてるんだろう?って答えのない問いに、ようやく答えが出た、画期的な一日でした。本当にうれしかった。この指針が胸の中にいつもあります。だから、私にとってこの日は、書きとめておかねばならない一日なのでした。

 

そして、これを観終わった後にあーだこーだした時間こそが「LOVE」だったなあ、と今思い出してみると、そんな風に思います。さっきふと思い出したそのときの情景。

 

観終わった後のあーだこーだもとっても楽しくて、もう3ヶ月も前のことなんだけど、誰がどこに座ってたかまで思い出せる。釜焼のピザがおいしかったこととか、手がべとべとになって、それに気をとられちゃったこととかも。で、お手拭きください、って店員さんに行ったら同じくピザ食べてた友達に「そうそう、私もほしかったー」って感謝されたこととか(笑)そういうどうでもいいことを覚えてるんだよね、なんでだろ。そういうところ、旅っぽいなあ。

 

愛はそのテーブルにあふれていました。物語への愛、音楽への愛、目の前にいる人への愛、一緒に観た人への愛。聴きあう時間への愛。ほしかったものはすでにそこにあったね、っていう青い鳥ではなくて、もうすでにそこにあった、ってことに気づけたっていうことが最大のギフトなのでした。

意識してもしなくても愛はそこにあるけど、意識するといいことがたくさんあるのです。うれしさも増すし、思いやりも生まれるし、尊敬もできる。だから、愛に意識的に生きたいな、と、今はそう、思っています。そんなターニングポイントになった椿姫、の私にとっての物語でした。

※追記 ゆかこさんからみた「あーだこーだの会」

 


aktennotiz.jugem.jp

 

<鑑賞記録>能楽鑑賞教室~国立能楽堂

生まれてはじめて、能と狂言をみてきました。

きっかけは友人のせいこさんに『能&狂言を観てあーだこーだと語る会』に誘ってもらったこと。
いつも新しい表現に触れさせてもらっています。ありがたいなー。

演目は、こちら。
狂言大蔵流】附子(ぶす)
能【金春流】黒塚(くろづか)

能楽鑑賞教室だったので、能や狂言の解説付きでわかりやすかったです。
修学旅行の中学生や高校生もたくさんいました。


せいこさんが事前学習した内容を音声で送ってくれていたので、前もって復習もしていきました。古い表現なので、時代背景とか言葉とか、わからないところがたくさんあります。
知らなくてももちろん楽しめるけど、知っていたらもっと楽しい、と私は思う派。

 

さて、当日。

能楽堂自体がこんなに美しいものだとは知らず、会場に入るなり「なんかすごいーー!」とテンションが上がります。やっぱり本物をみにきてよかった、と観る前からすでに思ったのでした。

 

 

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能の舞台は、入れ子構造。屋内なのに、屋根がある。
これは、昔、屋外でこういう舞台をつくってみせていたからだそう。

オペラや劇のような幕はありません。

はじまるときは、だんだん静かになって、なんとなく始まるのかな?って感じでちょっと照明が暗くなり、でも真っ暗になることはなく、そろそろと舞台に人が出てきて、いつのまにか始まっています。


そして、終わるときも、静かに皆退散していくのです。
観客にむかって一礼するなどもなく、ましてやカーテンコールもありません。


一緒に鑑賞した、ある参加者さんが言っていました。
なにか物語をみた、というよりは、なにごとかが起こっているところに遭遇した、という感じだね、と。

 

設定自体は非現実、非日常なのにも関わらず、そこで起こったであろう人と人の間に生まれているものは、自分の身にも十分に起こりそうな感情や物事。
みているうちに、ある瞬間に舞台の上で起こっているその渦に、いつのまにかふわっと巻き込まれていきます。

 

 

会場が暗くないのせいか、その場にいる全員が舞台に集中している様子も感じられて、みんなで一緒に舟に乗っているような感覚もありました。どんぶらこーどんぶらこ、という揺れが感じられるような小さな舟。

 


現実と非現実、日常と非日常の境界線があいまいで、演目が終わってからも、戻ってくるのに一苦労。

 

 

いったん戻って来たものの、次の日の夕方くらいまで、怒っている赤鬼のイメージが離れませんでした。それは、一緒に行ったみんなも同じだったようで、Twitterのタイムラインも怒っている女の人の話がたくさん。。

 

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これ、しょっちゅうは行けないね!(笑) って、言ってた友人もいました。
うん、たしかに。でも、しばらくして忘れたころに、また行きたいな。

そして、次も誰かと一緒に舟に乗りたいです。
舟を降りた後、酔ったり、ちょっとふらふらしたりする足取りを支え合いたいな。

 

 

<鑑賞記録>ソール・ライター展

先日、たまたま時間がひょっこりあいて、これをみてきました。

 

www.bunkamura.co.jp

 

いきなりぽかん、と時間が空くなんてこと、ほんとにあるんだなと思っていたら、たまたま同じ日に友人もきていて、観終わって二人であーだこーだ話しました。元々こういう予定だったんじゃないの?というぐらいお互いの予定がぴたっと合って、なんだか不思議だった。

 

 

「写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時々提示すること」

  

 

街角、カフェ、窓からみた景色。どこかで自分も見てきれいだなって感じたことのある風景のようだった。デジャヴ。窓越しや、屋根の下からや、ベランダから見た景色。自分で撮ろうとすると、いつも、シャッターチャンスを逃したり、フレームに入りきらなかったりして、とても雑なものになる。
ほら、こういう風景をみたんだよね、ってさしだされたみたいな気持ちになった。

 

「身の周りのものは、美しい」

「なにも地球の裏側まで行く必要はない」

 

 

人物の写真から伝わってくるもの。
ぼーっとしたり、じっとみたり、がっかりしたり、愕然としたり、物思いにふけったり、好奇の目を向けたり。そういう、物語のほんの一瞬。こういう瞬間があちこちにある。通りを出ればすぐに。

 

 

  「肝心なのは何を手に入れるかじゃなくて、何を捨てるかなんだ」 

 

長い間、ひとところに住み、毎日のルーティンの中で写真を撮る。商業用の写真はたくさんないのに、どうやって生計を立てていたんだろう?と勘ぐってみたり。

「無視されることは偉大な特権である」

「幸せの秘訣は何も起こらないことだ」

 

撮影している存在を感じさせずに、日々写真を撮り続けたソールライター。
未だに現像されていないフィルムが大量にあり、ソール・ライター財団で粛々とアーカイブ作業が成されているんだそう。またいつか、未発表作品をみれるときがくるのかな。

 

これから開催する読書会一覧

これから開催予定の読書会一覧です。

※随時更新予定 

 

★ 水曜日の読書会 

日時:7/19(水)10:00~12:00
場所:都内カフェ(上野近辺)
課題図書:「沼地のある森を抜けて」梨木香歩
※事前読書要
参加費 2000円

 

お申込はこちらから→ 水曜日の読書会


Facebookアカウントをお持ちの方はこちらからどうぞ

 

 

★ 『恋』がテーマの読書会

日時:7/16(日)10:00~12:00
場所:都内カフェ(中央線沿線予定)
持ち物:「恋」という言葉でぴんとくる本を2冊をお持ちください。
参加費 :2000円
定員:5名(満席になりました。キャンセル待ち受付中です)

 

お申込はこちらからどうぞ → https://ws.formzu.net/fgen/S66517496/

 

◇私が個人的に話したいこと。

恋ってね、私にとっては非日常なんです。
でもある人にとっては、美しい日常の延長なんだって。

そっかー、人によって違うね、と思ったものの、
私の恋のイメージって、20代のときのもの。

あれからずいぶん時間は経っていて、
私自身もずいぶん変化しているんだから、
今もし恋したら、20代のときと同じじゃないよね、
と、ふと思ったのです。

恋のイメージを更新したい!がこの会をひらくきっかけになりました。

あなたにとっての恋はどんなものですか?
よかったら、聴かせてください。


※ 婚活イベントではありません
※ 男性はお知り合いの方、ご紹介の方が対象となります

 

 

★ 水曜日の読書会 今後の開催予定日

8/16、9/13、10/11、11/8、12/13

※ 9月から第二水曜に変更になります